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(C)2003
Somekawa & vafirs

『ポカラの瞳・前編』

ヤミヨのカラス

【ネパール王国へ】

2003年4月。タイに駐在して6年目を過ぎ、“そろそろ帰任間近かなぁ?”と、駐在員がまだ誰も行った事のないラスト旅行にネパール王国を選んだ。
4月は1,000人以上の死者がでると言う狂乱のタイ正月5連休を利用。 首都カトマンズに入り第2の都市ポカラを観光の後、カトマンズ経由で帰国する旅程である。

“エベレストを見るゾォー!“と、通常は単独旅行する我々も、ネパール語が分かるはずもなく、 現地で手間を省くため、バンコク発4泊5日のツアーを選んだ。
全て日本人の総勢20人弱。 我々夫婦以外は全てバンコク在住で子供づれの家族や一人旅のオッサンなど様々だ。
当時、SARSが流行しており空港での感染(パンデミック)を防ぐため全員マスク姿で、 愛想笑いなのか怒っているのか分からないまま挨拶もなくタイ航空の旅客機に乗り込んだ。

ネパールは当時、唯一のヒンドゥー教(仏教と融合した独自のヒンドゥー教で国民の8割が占める。)を国教とした非常に貧しい国である。
インドと同じくカレーとナンが主食。 ガイドブックには、黒インクが貴重で黒のボールペンをプレゼントすれば非常に喜ばれると書いてあり2ダースほど買込んだ。 (ネパールは原価の安い?青ボールペンが主流)タイなら一本10円程で買える。
しかもこの国はチベットのダライラマと同じく生き神様“通称クマリ”が存在する。 そのクマリは少女で、輪廻転生と称し延々と継承されている。
ダライラマと違う点と言うと、死ぬまで生き神様で一生を過ごせるわけではなく、初潮を迎えると同時にバトンタッチしなければならない。
またクマリを称える祭り以外は一つの屋敷に軟禁されるという原始宗教の名残りを留める国でもある。 (普通の娘に戻って幸せに暮らした例は少ないとの事。)

カトマンズの空港へは3時間ほどで到着。
ビザ確認の入国審査を終えた空港の出口で2人組みの白人のオバサンが、慌てふためき“オー!マイガー!”と目の前を右往左往している。
“なんのこっちゃ!?”とヨクヨク聞いてみると“オー!マイ カート!オー!マイ カート!”と叫んでおり、 どうもカートに乗せた荷物をカッパラわれたようだ。
“貧しい国は治安が悪い。”と思っていた矢先、ショッパナからビンゴ!
“ゴシューショーサマ!”と首は突っ込まず、現地人男性ガイド(通称ロクさん=日本語OK)から花で編まれた歓迎の首飾りを受け取りバスに乗り込んだ。

2001年6月ネパール国王宮殿にて太子が王と王族を殺害し王位を剥奪する事件が発生。それ以降内戦が活発になる。
2002年10月にはクーデターに発展。
何となく聞いてはいたものの、空港を出発すると空港から一般道に出るゲートには鉄条網が張られ小型の戦車が1台、 空港を守るようにカトマンズの街に砲口を向けている。 (街に入ると至る所の四つ角には土嚢が詰れたトーチカが設置され、王宮を囲む塀には30mおきにマシンガンを抱えた兵士が宮殿の護衛に当たっていた。完全に緊張した街。)

クーデター勃発は半年前の話である。
“なんじゃ!この国は!?”と驚くが、事前に現地の安全情報も曖昧に受け止め旅行に来ている立場では、文句も言えない。
ネパールには産業が乏しくエベレストとヒンドゥー教の寺院などの観光資源しか収入源がなく、 このような政局でも客を呼び込まなければ国自体が成り立たない。
とにかく楽しむ事にした。が、しかし。。。。

街中に入る前にバスはヒンドゥー教寺院に到着。
寺の門前には川が流れており反対側の川岸は火葬場がある。
火葬場とは言うが、小屋も塀も無い川面に降りる石段の中腹にシンプルな石の台が設置されているだけだ。
橋を挟んで左側が無料の火葬場で反対の右側が有料の火葬場だとガイドのロクさんが説明してくれる。
我々は無料側から寺院に入り有料の方へ歩いていくと偶然にも火葬の準備をしているではないか!
遺体は大量に組み合わせた丸太の上に乗せられ、その遺体が富裕族だったかを示すように綺麗な布で覆われ、そこから顔や足の位置がはっきり分かる。 そのうち火葬を手伝う男性が布の上にワラをコンモリ被せて火を付け、白煙が立ち上りだした。
我々ツアーの面々やその他大勢の観光客が反対の川岸に腰掛け話し声も歓声も無く、それらを一部始終、まるで演劇のように見ているのである。

小生は何気なしに撮りだしたビデオが止められずにいた。
その拡大されたファインダーからは布が燃え出し素足が露出したのが見える。 爪先から炎が上がるのが見えたところで我に返りビデオを止めた。
(ご遺体さん。すんません。)
偶然ではあるものの、火葬場まで観光スポットにしているほど、彼らは貧しいのである。
無料の火葬場ではどんな様子かは、想像しないことにした。

ホテルに着き、昼食にはネパールの主食のタンドリー風チキンカレーとナン(とっても美味!)を堪能し、夕飯まで自由行動となった。 全員腹を満たしSARS予防のマスクを外せてホッとしたものの、SARSなぞ足元にも及ばない国であることを、その後、身をもって体験することになる。

観光がてらに街を歩くとストゥーバと呼ばれる巨大な(高さ27m)仏舎利が目に入ってくる。
それには仏の目が4面に描かれ眼下の人間を睨み付けている。
それのテッペンからは幾重にも旗を吊るしたロープが結わえられ風でハタメいており、 その強風は砂利道の土埃を巻き上げ目を開けているのもやっとだ。しかも、それに拍車を掛けているもの。

それは、野生化した“野良牛”だ。

ネパールの国教はヒンドゥーであり牛は神様である。よって牛は食べないし殺さない。 至る所に無数にいる。主要道路の真ん中で2頭のメス牛を引き連れたオスが角を振りかざし我が物顔でノシ歩く。 奴らは道に糞をたれ流し、神とは言え、整えてもらえることもないロン毛が全身を覆っている。
そのアカまみれのロン毛からは強風に煽られて煙のようにホコリを撒き散らすわけであるが、 それでも、その神様たちがお怒りにならないよう人間様の車が避けて通るのである。

空港を出るときから気になってはいたのだが、現地の美人なオネーサンであろうが紳士、オッちゃん、オバちゃんだろうが、 恥も外聞もなく至る所で“カァァーッ!ペェッ!”と所かまわずタンを吐いていた。
その原因がようやく判明したわけで、エヘン虫どころか、イガイガ大魔王が喉の奥で暴れだし、 小一時間も経たず、同じ事をやってスッキリしている自分が居た。 (さすがな嫁さんはコラエたようでソッコウで現地化した小生を“日本人の恥!“と罵倒してました。)


【マウンテン フライト】

夜も自由行動ではあったが、野良牛攻撃で夕暮れ前にはホテルへ退散。 曲りなりにも治安と環境の悪いタイの生活経験者が、ロクさんが同行すると言うレストランに全員揃ってしまった。
口には出さないものの初日から火葬ライブ、市の情勢と風の中の牛糞攻撃に、ヘコンでしまったのである。

民族舞踊とネパール料理を肴に米から作った蒸留酒の地酒、ラクシーは、スッキリした喉越しで牛糞のホコリを洗い流してくれ、今日の事をリセットだ。

翌日、待望の“エベレスト遊覧”に挑む。

早朝、ホテルで、野菜カレーとナンをペロリと平らげ、二日酔いなど何処へやら。
カトマンズの空港で待ち受けていたのは“Buddha Air=仏陀航空”とアリガターイ名前が書かれた双発プロペラ機だ。
機内に入ると通路を挟んで各一列のシートが並んでいる。1シートに1つの窓があり全員外を楽しめる。
パンフレットにはフィート表示だが、この飛行機は9,000m以上の飛行が可能だと書かれているものの、 “標高8,850mのエベレストをホンマに上から眺められるんかいや!”“空気が薄くてエンジン止まったら死ぬやんか!”などと、妄想が膨れ上がる。 (多分、ナンマイダとかアーメンなどと実家の宗派のお経を全員唱えたに違いない。)

フライトは、およそ1時間。我々ツアー20名弱で満席だ。
それでもパイロットは機長と副操縦士、それとスチュワーデスが1名搭乗している。
50km先にある標高8,000m以上のヒマラヤ山脈に向かうため、ブッダ号は急な上昇に入る。 ある程度の高度になると角度が緩み、愛想の無いスッチーが、アメちゃんの入ったカゴを無造作に目の前に差し出す機内サービスを始めた。
機体は与圧されているものの、気圧の急激な変化による鼓膜の痛みは強烈だ。 “アメちゃんから出る唾液をゴックンし、自分の鼓膜は自分で守ってネ!”と言う訳だ。
なんと安上がりな。。。。

高度を上げるにつれ機内はサブクなる。
中央やや後部のシートに座っていた小生は、窓から見える青色の主翼が一瞬にして銀色に変わるのを見逃さなかった。

翼が氷結してるやんか!!!

翼が氷結すると、重量増加→揚力低下→墜落!→ナンマイダ→
チーン!と要らぬ知識が頭をカスメ、高所恐怖症の我タマタマは縮み上がる。
しかし、それは忘れたことにしエベレストが見えることを祈り、モトモト何味か分からないアメちゃんを一心不乱に舐め続けた。 が、飛行は不安を裏切るように順調で、窓を除きこむとヒマラヤ山脈が脈々と連なるのが見えてくる。
しかし、どれがエベレストなのかサッパリ分からない。
それもそのはず、全ての山頂が8,000m級で富士山の様に悠然とそびえたっているわけではないのである。
と、例のスッチーが前の席から順に手招きをし、モトモトドアの無いコックピットに招き入れてあれがエベレストだと指差してくれる。
期待に胸を膨らませた目の前のエベレストは、他の山より高いのだが、周りの山脈から見れば頭一つ突き出た程度だった。
しかしエベレスト上空に到達し旋回して上から眺めるヒマラヤ山脈は想像以上に荘厳である。

太古の昔、インド・オーストラリアプレートが分離移動しユーラシアプレートと衝突。
その衝撃波で大地が盛り上がった結果がヒマラヤ山脈である。
何千年も掛け隆起した荒々しい岩盤が眼下に一目瞭然に見て取れる。
その一部の先端がエベレストだ。
雪と岩しかない山の表面は水墨画のようで、空の青さが一体となり、人を寄せ付けないことが、ストレートに伝わってくる。 何人もの冒険家が挑み、名誉を得る者もいれば、命を落とすものもいる。
機内の全員が、それを体感しているようで、一言も発せず食い入るように見入っていた。。。。

次号へ続く

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