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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

主のひとり言

さて、いよいよ<主のひとり言>も最後となった。
当ホーム・ページが出来て約15年、毎月何がし書いてきたが、店はそれ以前より営っており1977―2017年まで、41年となる。
その間酒場の事、当然だが色々な事があったし、色々な人が来る。

我が店は小さいビルの二階、階段をドタドタドターと上がってくる音がしたかと思うと、ドアをバーンと開け「もうー飲めんぞ」と言いながらカウンターに座る。
そして「う〜ん飲んでやるか・・・オメーも飲め」といつもの流れなのである。
が、面白いのはこの常連客、まだ二十代の女性なのである。
本人曰く(普段は実におしとやか、かつ上品に振舞っている)らしい。

ある静かな夜の事、
ドアが静かに開いたかと思うと、男が立っている。
それも半分泣きそうな顔で。
歳の頃なら30前後だろうか、その泣き顔で言った。
「お酒くださ〜い、お金はないんです〜」・・・・・たぶん酒場を何軒も回ったはずだ。
僕はオンザロックのグラスに八分目までジンを注ぎ、差し出した。
男はもぎ取る様にグラスを受け取ると、グビグビグビッーと一気に飲み干した。
そして「ありがとうございます〜」と言って階段を降りて行った。
ほんの三分ほどの出来事。その時にいた常連のS氏と顔を見合せながら、僕も彼も言葉が出てこなかった。
(けっして他人事ではない気がしたのである・・・)

ある中年の男性。
ちょっとふらつきながらやってきた。
カウンターに掛けると「スコッチの水割り」。
僕はグラスを差し出すと「いくらや」と言われ僕は「1200円です」というと「安いな、釣りはいらん」といって千円札を二枚、僕は素直に頂いた。
しばらくしてまた「いくらや」となった。
僕は先ほどしかと頂いた。
との説明に耳をかさず「払っておらん、いくらや」となるので、僕はまた千円札を二枚貰ってしまった。
渋々、ほんとに。
それからしばらくして彼は「酒は旨いなぁ」と言いながら一杯を飲み干すと「いくらや」ときた。
予想はしていたがやっぱり・・・。
僕は二回も貰ったなどといえず、しかし、しかと頂いた事を力説すると「分かった、帰るワ」と言ってカウンターにポンと千円札を一枚置いて出て行った。
(素直に喜んでいいのだろうか・・・悩むところだ)

かと思えば、ある酔っ払い、飲みながらいう。
「金はない、警察を呼んでくれ」当然冗談かと思いたいが、そうじゃない事は目を見たら分かる。
しょうがないので警察を呼ぶ事になる。
(こんな時、いやな稼業だな、と思う)何回かあった。

店を始めて数年、30過ぎの事になる。
仕事をしすぎたか、イヤ、飲み過ぎたのだろう胃潰瘍になり入院という事になった。
一カ月程度という。
はて困った、店は休まなければいけない。
と思っていると、取引先の酒屋ほか常連客、これまた常連のホステスうんぬん。
みんなして一カ月間、日替わりマスター・日替わりママさんとして毎日店を開けてくれた。
もちろん無給で。
(ひと、人には感謝しかない、とつくづく思ったものである)

それから二十年も経ったか、胃潰瘍もすっかり忘れていた頃の事。
また胃の具合がよくない。
ただその頃になると病気に対する免疫が出来たというか、胃など悪けりゃあ取ってしまえばよい、とまぁー意味もない余裕と、自信を持って病院へ行った。
胃カメラとなり、ホゲーッモゴッと飲んでいると医者が「ありゃー」と一声。
カメラが胃にたどり着く前に食道にモッコリとある。
僕にも見せてくれる。
調べるとりっぱな「癌で」あった。
食道にあるから食道癌、当たり前だ。
さて検査入院となり、もうチョイ調べると胃の近くのリンパにも・・・。
これがまたりっぱな癌があるとの事。
でかくなった腫瘍が胃にへばり付いていたため、僕は胃潰瘍の再発か?と思った訳である。
結果、胃など取ってしまえばよい、という僕の思い通りに切り取られ、ついでに食道も、胆のうも、膵臓も、脾臓も切り取られてしまった。

その後また十数年経ち昨年の事になるが、肺に水が溜まったり、穴が開いたりと、相変わらず病気は忘れた頃にやって来るようなので、もういいかげんこの辺で終わりにしたいものだ。

さて鹿児島は山奥育ち。
学校から帰るとトランジスターラジオと相棒の羊(ひつじ)を連れて山や野原に出かけていた。
その草原の輝きみたいな少年が大阪へとなるのだが、いきなりあの大阪駅が通学(調理師学校の)圏内になってしまったのにはびっくりしたものである。
大阪生活は4〜5年、結構楽しかった。
ボーリングやスケート、ビリヤードを覚えたのもこの頃である。
その後縁があり四国は徳島時代となるのだが、人の気質が大らかというか、外部から来た者へも実に寛容な町であった。
よ〜く飲まされたものだ。
3〜4年もいただろうか、やがて金沢で空いている「店」があるとの事「やらんか」となり金沢時代が始まったのである。
それが41年前の事になる訳であるが、当時まだ二十代、若さゆえなせる事であった。
初めての雪国、真っ先に覚えたのは当然スキーになる。

金沢へ来て、知れば知るほど奥の深いところだなあ、と思う。
とにかく文化レベルの高さに驚く。
さらっと見ても、焼き物なら九谷焼に珠洲焼。
塗り物なら輪島塗に山中塗。
文豪となると室生犀星・徳田秋声・泉鏡花となるし、哲学者なら日本を代表する西田幾多郎に鈴木大拙。
また繊細な金沢刺繍に、金箔などシェア99%というからすごい。
またお客様で釣り道具屋さんに勤めている人が居られたが、その店はなんと創業430年を超えた、というから「参りました」というしかない。
釣り道具ひとつとっても歴史を感じる。
そんな実に懐の深い金沢である。
とにかく一地方での事、他に類はないのでは、と思う。

まだまだ上げたらキリがない。
そんな金沢へヒョイとやって来て、店と共に41年。
その間色々な人たちと巡り合い、お付き合いさせて頂いた。
また個人的には家庭と小さな家にも恵まれた。
本当に感謝している。

一言で表現すると「縁」というのだろうか、そんな金沢へ住み着き、本当に良かったと思っている。
1977年に始めたロブロイ。
2017年まで41年間、皆さま本当に有り難うございました。