ヤミヨのカラス
【マンネリ】
“またか。。。。”
マウンテンフライトを終え、ホテルに戻ると、昼飯は、やはりカレーだった。
どうやらこのホテルは朝から晩までカレーを出すようで、さすがのカレー好きでも、いい加減ウンザリだ。
あまり食欲がわかず、サラダで腹を満たし、 ホテルの前に小さな雑貨屋があったので買い物がてら外出する。
その店は、小ぢんまりとしたスーパーで夜食になりそうなものを物色。
また、旅行に出ると必ず吸ってみる現地のタバコ。
その他、先ほどのマウンテンフライト搭乗の際にはライター持ち込み禁止だったため空港に預けたまま戻ってこなかったライターを購入。
日本で言う100円ライターであるが、ケツからガスが注入でき日本のガスタンクの倍の容量があろうかと言う代物を選んだ。
その店には酒が無かったので街に繰り出し、嫁さんが呆れてモノも言わなくなった“カァァー、ペッ!”を繰り返しながら、
露店で見つけたホコリだらけのウィスキーを手に入れた。
ボトルにはエベレストの写真が貼ってある。
その夜は、なんとも言えない味のポテトチップスと“エベレスト”で、その場を凌いだ。
また現地のタバコを吸ってみたが辛すぎてイップクで降参。
明日はカトマンズから200km離れたネパール第2の都市ポカラへブッダエアーで移動する。
【牛の行方】
早朝、 ホテルの食堂には全員揃わなくなっていた。
相変わらずのカレー攻撃を何とか凌ぎ、カトマンズの空港へバスに乗込むと、ツアーメンバーの子供達がグッタリしている。
親御さんに聞いてみると、お腹を壊しているようで、どうやら牛糞の粉塵にやられたようだ。
下痢にカレーはキツイ。タイから持参した薬は飲んでいるようで早く良くなるよう祈りつつ飛行場に到着。
ポカラへは、あのブッダエアーに乗込み約30分のフライトだ。
登場口に移動する時に、セキュリティを通過する。
ボディチェックを受ける際、ライターが見つかり没収されそうになる。
機内持ち込みは1個はOKだろうと思っていたのだが、この国は1個だろうが全て没収である。
クレームを付けたが、エラそうな検査官はガンとして譲らない。
ソイツの横にはプラスティックで出来た大きな箱があり、コンモリとライターの山が出来ていた。
高そうなジッポやダンヒルなども見える。
預かり書も出さないところを見ると、返却する気はサラサラなさそうだ。
ライターをもフンダクリ、それを店で販売しスモーカーに、また買わせる構図が見えてくる。
100円ライターのケツにガス注入口があるのも、なるほど頷ける。
無謀な規制で略奪したライターすら収入源にする国ネパール。
まあ20円程度で買えるのだからと、それ以上、執着するのは止めた。
我らツアー客を乗せたブッダエアーはポカラへ向けて飛び立つ。
高度がでると通常は空しか見えない窓であるが、さすがエベレスト山脈。目線より上に山脈の山頂が延々と続いている。
パンフレットには、各々の頂の名前と、いずれも7〜8千メートル級の標高が書かれており、パンフと山を見比べながらの飛行は初めてだ。
アッという間にポカラの小さな空港に到着し、そこに待ち受けていた4輪駆動のジープ2台に分乗する。
ジープの天井に荷物を積み上げ、後部は自衛隊の兵士輸送と同じ対面式のベンチだ。
ロクさんからは、 ポカラの町を散策後“タイガーマウンテン”という山のロッジに宿泊し、2、000mを超える山をトレッキング、
その後、町の観光を行う説明を受ける。気温は以外と暖かく半袖のTシャツでもOK。
(と言うのも、タイなどの熱帯地区は、この時期40度を越える真夏で、その北部とは言え十分暑い。)
移動中、町のメインストリートである赤土剥き出しの道を通り抜ける。
相変わらず、でかい野良牛数頭が我が物顔でカッポし、垢まみれの粉塵を撒き散らしている。
流暢な日本語で窮屈な場を和ましているロクさんに、ネパールに入ってから抱いていた疑問=“これらの牛は神であるけれど死んだら、どうすんだ?”と聞いてみた。
ロクさんは、上目使いの横目で、こちらを睨みニヤッと笑ったきり口を閉ざす。
奴の不敵な笑みからは、“この国で金が掛かる処理なんか誰が、すんねん!”とか“ガイドやけど外国人のお前らには言えんことも、あるんやで!” と言う無言の“気”を感じ、全員、押し黙ってしまった。
途中、ヒマラヤ山脈の雪解け水が大地を切り裂いた滝と渓谷を満喫し、ジープはロッジに向かう。
山道は、山肌が剥き出しの急勾配が続き、至る所でスタックの痕跡が伺える。
ジープは大きく体を揺らしながら4輪駆動を駆使しグングン登る。
窓から顔を出しプロの四駆テクニックを楽しんでいる小生以外は、その揺れにウンザリしながら早く着く事を祈り、苦渋に満ちた顔で眼を閉じていた。
【トレッキング】
ポカラという町は標高800mに位置しペワと言う湖がある。
その湖の背後には“フィッシュテール=魚の尾”と名づけられた標高6,993mのマチャプチャレと言う山が、そびえている。
写真で見るとその美しさは最高だ。
8,000m級の山脈が背後に控えているのだが、その“魚の尾”は町の前方に位置し際立って存在感がある。
ようやく我らを乗せたジープはロッジに無事に到着。
車から降りてホテルの入り口まで歩いていると、ホテルの反対側では赤土のレンガで出来た小屋と畑が見える。
そこには、日本では明治時代に活躍していたような耕作器具を取り付けた2頭の牛を操る褐色の男が畑を耕していた。
“牛は神やのに畑で働かすんか?”と聞くと “あれは水牛だから動物だ。”と、ロクさん。
また畑の男を指して“彼らはカースト制度では位の高い種族だ。”と言い“でも、とても貧しい。”とボソリと付け加えた。
各自の部屋は、ロビーの建屋とは離れた個別のロッジが割り当てられた。
昼食30分後にトレッキングへ出発だ。
このホテルも相変わらずのカレーとナンで、たまりかねたメンバーから何か別の食事を出して欲しいと依頼がロクさんに殺到する。
食わねば体力が持たん。と何とか胃に流し込み、部屋で荷物を片付け部屋の入り口にあるコールテン生地のソファに横になったとたん“うわっ!”と叫ぶと同時にソファから飛び上がってしまった。
ソファの上に置いた腕が一瞬で見る見る赤く腫れ、すさまじい痒みに襲われる。ダニが住み着いていたのであった。
ブツクサ文句を言い腕をボリボリ掻きながら、ロビーに戻ると6割ほどしか集まっていない。
具合の悪くなった子供さんを看護する親御さん(特に奥さんの方)も容態が悪くなっているようだ。
衛生状態の悪い海外でアタルと発熱を伴う下痢は強烈だ。下痢には絶対の信頼を持つ、日本では有名なあの黒いタマタマをどれだけ飲んでも効果は無く、現地の薬が、やはり一番良く効く。
しかし持参したタイの薬でもネパールでも効きが悪いようで体力の無い子供、 女性と順番に、やられていく。
このトレッキングは、ロクさんとは別に現地の専任ガイドが付く。
彼は日本語は話せず、癖の強い英語を使う。と言っても、彼のガイドは“これは何とかの花。これは何とかの木。”と説明してくれるものの、植物なんぞ興味もボキャブラも無い小生にとっては流暢であろうが、なかろうが、何の意味もなさない。
ロクさんが通訳してくれるものの30分もすると全員、無言の行進となってしまった。
途中、山肌中腹の小道沿いにある赤土で出来た民家に立ち寄る。
小山羊が数頭戯れており、民家の中では取れたとうもろこしの実を取り外す手作業を行っている。
子供を抱いた若奥さんもいるが面々の顔は何故かしら暗い。ガイドは、彼らの暮らしぶりを説明し寄付を募る。
が、無理やり連れてこられて金を、せびられても出すメンバーは誰一人いなかった。ガイドの実家なのかも知れない。
小道から山々を横断する砂利道の幹線道路に入ると村が見え、色とりどりの民族衣装サリーで着飾った幾人もの老若男女と、すれ違いだす。
ネパールも彼らの暦では、この時期正月であるとロクさんが説明してくれる。
広場では大音量で音楽が流れ大勢の女性が宴会の準備をしており賑やかだ。
男達は、星型の図形が書かれた台の上で、なにやらオハジキのようなゲームで遊んでいる。
どうも金を賭けているようで奴らの顔は真剣だ。
幹線道路を走ってくるボロボロのバスとすれ違うと、中は満員で、 更に幾人もの男がボンネットの上に腰を下ろしている。
カメラを向けると皆、手を振る。都会で働き稼いだ金をもって久しぶりに故郷に帰るのか満面の笑顔だ。
バスは次の村に行くようで、ボンネット上の乗客を振り落としそうなくらい傾きながらコーナーを回って行った。
正月に浮かれている村であるが同じ正月だとは言え、先ほどの民家と比べると、この国も貧富の差が歴然としている。
折り返し地点は、小さな湖が見渡せる山の頂上だ。そこにはホコラが鎮座しているが、“フーン“で終わってしまうくらい小さい。
30分ほど休憩後、帰路につくのであるが、この何も無い頂上にも、いつからツケテ来たのか商魂たくましい現地人が突然現れ、袋から取り出したお土産を広げ商売を始める。
多分、現地ガイドの差し金だろう。
しかし誰も取り合わず、はるか向うに見える2台のオンボロバスがガードレールの無い幹線道路を崖から落ちそうになりながら何度もキリカエすサマを眺めながら時間を潰していた。
続く