小林純也
単にアルコールを摂取するということだけが「酒と接する」のではないとすれば、僕の酒体験は幼少の頃になります。
私の母方の祖父は酒飲みでした。
高校の国語教師として教鞭をとり、本を書き、神社の宮司でもありました。父を4歳で亡くした僕にとっては父親代わりの人だったといえます。一言で言えば「洒落(シャレ)者」でした。
「ゲルベ・ゾルテ」とかいう黄色い箱に入ったドイツの煙草を吸い、毎晩必ず日本酒と多少の洋酒を飲み、孫を笑わす。ジャンルを問わず映画に連れて行かれましたが、「ルパン三世」の時はルパンと不二子のやり取りが気に入ったらしく、その後何かにつけ「不ぅ〜二子ちゃん」と真似しながら「軽い下ネタ」を連発しシャイな孫を赤面させていたのを憶えています。インテリジェンスとアイロニーとユーモアの融合した人でした。
「いしや」という割烹によく連れて行ってくれました。別院帰りの金沢市民に愛されたその店の主人は祖父の教え子で、そこで美味しいものを少しつまみながら酒を飲むことを祖父は心から楽しんでいました。小学生だったので酒を飲むわけではありませんが、そこで食べる「カラスミ」や「へしこ」等の酒飲みにはたまらない一品をもらって食べながら、酒を飲むという気分と楽しさを味わっていたのかもしれません。
酒を飲むようになった発端はドイツにホームステイした19歳の時です。
自分で希望したのではなく、ある団体のドイツ派遣にたまたま選ばれての渡独でした。南部の都市に同年代10人でいきなり放り込まれて、それぞれが別々の街のステイ先で過ごす。僕にとっては外国のホームドラマをTVで見てたらいきなりブラウン管に吸い込まれて、次の瞬間にはそのダイニングテーブルに座っていたと言ってもよいくらいの衝撃と緊張でした。
異郷の地で豪放に振舞えるような度胸もなく、ドイツ語はカタコト。下手な英語を一日中考え話続けるのは最初シンドかった。しかし慣れて打ち解けてしまえば楽しい毎日で、4つの家庭をステイしながら「お呼ばれパーティ三昧」。食前にシュナップスをイッキにあおり、ドイツ料理を食べながらコーク・ビア(ビールとコーラのミックス)とワインを飲む。異郷の地での老若男女との一期一会の酒。その連続。酒の味を覚えました。
帰国して間もなく祖父は病で倒れ、1ヵ月後に亡くなりました。一緒に酒を飲む機会は一度もなく。祖父が教えてくれた「酒処」を愛すること。「肴」を味わうこと。ドイツで学んだ「酒での出会い」を楽しむこと。
今の僕は石川日独協会のメンバーとして毎月1回「ぴるぜん」でドイツ料理とビールを満喫し、その足で向かいにある「ロブロイ」でブルースハープ談義(初心者ですが)と常連さんとの遭遇を楽しんでいます。