端野威輝
ちょっと時間がたってしまったが、アメリカ出張の時の話をしたいと思う。
悶々とした精神状態とは裏腹な快晴の金沢を出発し、羽田経由で成田空港に到着した。
チケットはエコノミーだったが、エコノミープラスと呼ばれる、シートピッチが若干広い席に座ることができた。
おかげで、思ったよりは我慢できる環境でのフライトとなった。
行きの飛行機はUAだったが、日本人の女性アテンダントが2名搭乗していて、言葉の問題も感じないまま時間が過ぎていった。
それにしても、10時間以上のフライトは長い。
これでエコノミーだったら、耐えられないと思った。
それはともかく、ビールをもらおうとアメリカ人(?)の女性アテンダントに“beer please.”と言ったところ、“I'll be back.”と返事をされた。
しかし、彼女が戻ってくることはなかった。
初めて使った英語(?)は見事に通じなかった。(忘れられただけかもしれないが…)
シカゴに到着した日の夜は中華料理、翌日の夜はタイ料理と、どこにいるのやらと思う夕食が続いた。
中華料理はそれなりだったが、タイ料理はひどかった。
タイ料理の後、飲み直すためにビールを買い込んだ。
どうせならみんなで飲もうかと言う話になり、ホテルの最上階にテラスがあるので、ちょっと寒いけどそこで飲むことになった。
樹脂製のテーブルと椅子があり、人数分を風の当たらないところに並べて、みんなで乾杯した。
そのうちに柿の種やらピーナッツやら、誰が持ってきたのか日本から持参したおつまみが出てきて、普段の出先での小宴会と変わらない雰囲気になっていった。
22階からの夜景を眺めながら(といっても周りはもっと高い建物ばかりで、見下ろされている感じだが)、10月末のシカゴの空気を吸いながら食べた柿の種は、忘れられない味になった。
3日目の夜はステーキを食べに行ったが、ステーキもでかいし、フライドポテトとコールスローがどんぶりサイズで付いてきた。
こんなのを食べ続けていれば、体型がアメリカンになることは保証されていると思った。
このとき食べたステーキは本当においしかった。
今回の行き先がシカゴだったことは、自分にとって運命的なものを感じた。
生でブルースを聴きたいと思ってはいたが、夜勝手に出歩くのは止めろと言われ、あきらめるしかないと自分に言い聞かせていた。
シカゴでの最後の夜、アメリカのグループ会社のメンバーも交えての食事会があり、それを終えてのホテルへの帰り道で”blue chicago”というライブハウスを見つけてしまった。
ホテルまではみんなで一緒に帰ったが、今夜を逃すと二度とシカゴの夜は体験できないかもしれないという思いに駆られ、1人でホテルを抜け出し、”blue chicago”へ足を運んだ。
店の扉を開けると真ん前に黒人のおっさんが椅子に座っていて、”seven dollers”と言う。
ちょっとひるんだが、10ドル札を渡してそのまま空いていた席に腰掛けた。
店はほぼ満席で、1ステージ目の途中から2ステージ目の最後までブルースを楽しんだ。
自分の知らないミュージシャンだったが、野太い女性ボーカルも交えて、いいライブだった。
ラッパ飲みするビールもうまく感じた。(後で調べると、ダウンタウンの中でも行きやすいライブハウスのようだった。)
帰国の朝、前日に頼んだつもりのタクシーが手配されておらず、さらに空港までがラッシュ時と重なって大渋滞となり、予定よりかなり遅いオヘア空港到着となった。
カウンターで搭乗手続きをするべく並んでいると、我々の前で突然コンピュータシステムがダウンし、手続き不能になってしまった。
数十分待っても復旧せず、ついには電話を使った遠隔処理での手書き搭乗手続きが始まった。
発券から手荷物登録まで、手作業ではこんなに時間がかかるのかと痛感されられた。
自分の前の人の手続き中にシステムが復旧し、私の手続きからはコンピュータ使用となった。
スタッフのおばさんも安心したのか、簡単そうに操作しながら気さくに話しかけてきた。
荷物も預けて身軽になり、いよいよ帰国だと思うと何となくほっとした気分になった。
帰りの飛行機はANAで、会話はすべて日本語でOKだった。
後方の席がかなり空いており、私も早々に移動して3人掛けを占領し、日本のビールを飲みながら快適に過ごすことができた。
10時間以上という長さも、行きに比べると感じていなかった。
自分が飛行機嫌いであることなど、この時は忘れていたように思う。
定刻より少し早く、無事に成田空港に到着した。
飛行機を降りると、スタッフが待機していて、何人かの名前を書いた紙を持っていた。
何気なく見ると、そこに自分の名前があった。
自分の名前を告げると、申し訳なさそうに、「手違いで、お預かりした荷物が今の飛行機に乗っていない」と言われた。(最後の最後にこれか…と思った。)
オヘア空港のスタッフのおばさんの顔が浮かんできたが、それどころではなかった。
「次のシカゴからの便に乗せて運送中」とのことだが、安心できないと本気で思っていた。
幸い、成田から小松への飛行機まではたっぷり時間があり、約1時間半後の到着までは待てる状況だった。
やがて次の便の到着アナウンスがあったが、荷物到着の連絡はなかなか無かった。
それからさらに1時間ほど待たされて、私の手荷物は無事手元に戻ってきた。
やはり、飛行機は嫌いだ。