ヤミヨのカラス
〔新地探索〕
転勤族にとって最初に気にかけるものは、その地での行き着け飲み屋と散髪屋を探すことである。
京都へ転勤し1ヶ月ほどたったG.Wの初日、髪を切りに散髪屋を探しに出た。
前から目を付けていた”カット&パーマ”に入ったところ、お兄ちゃんが女性の髪をあたりながら、
”予約入ってますねん。2時間ほどしたら空きますよってに!”
と顔を見るなり言われ、
”この店には縁はなかったぜ!”
とプラプラうろついていたら遠くに渦巻きのクルクルが目に入った。
〔レトロな店〕
その店はそのクルクルを無くしたら散髪屋とは分からないような店構えだった。
躊躇したものの”ダメモトや!”でドアを開けると白い布のツイタテから小さいじいちゃんが”アッ!"とも”へっ!”とも言うかのような顔でこちらを見てきた。
散髪中の客もいたが、その顔に気勢をそがれ、フラフラとスプリングの壊れた長いすに座りこんでしまった。
その店はもうすぐ5月だというのにストーブを焚いていた。
周りを見回すとテレビもない。
雑誌を探したが雑誌すらない。
静寂の中、料金表の壁掛けが目に入った。
”一般3,600円、中学生2,500円、お子達2,000円”と書かれており”お子達”と言うフレーズになぜか笑ってしまう。
あとはすることがないのでストーブの上のヤカンの”シューシュー”音を聞いているうちに眠りこけてしまった。
”ガコン!”ドアの音と”おおきに”と言う声で目が覚め、散髪台に近づくと、これがなんとも言えぬ代物。
足でキコキコして客を持ち上げ別のバーを踏めばシューと下がっていく年代物の一品で、その上に大名がすわるような分厚い座布団が乗っている。
そのじいちゃんはと見れば、“なんでそんな年まで働いてんの?”と聞きたくなるほど高齢だが、糊のきいた縦じまのYシャツで痩せてはいるが、吊バンドに紺のスラックスと昔ながらの理髪師というイデタチで格好は頼もしい。
しかしどうも高さが合わないらしく小生を乗せた散髪台はキコキコキコ、シュー、キコキコキコ、シューの上下運動を繰り返し何回目かに、ようやく決まった。
”横は耳にかぶる位,後ろは跳ね上がるの嫌いなんで長め、前髪は眉あたりまで切って”とオーダーする。
今は珍しい細長いパリパリ半透明の紙を首にまき、散髪用エプロンをつけ、更にその上にお地蔵さんが付けるようなマエダレまで付けてくれる。
その動作が散髪台と鏡台をゆっくり往復しイライラするが、グルグル巻きにされ出しては、どうしようもない。
10分は立ったろうか、ようやくじいちゃんはストーブの方に向かいヤカンのお湯をタオルにかけ髪をぬらしにかかる。
湯沸かし器もない店であった。
また小柄なじいちゃんの口は,ちょうど小生の耳横にあり、”ハッ、、ハッ、、ハッ、、”と吐息が聞こえ、“もうすぐご臨終!”みたいな呼吸の浅さが非常に気になる。
仕事が終わるまで立ち続けていられるのか、はたまた手元が狂って鼻でも落とされはしないかと不安で一杯になってくる。
〔よもやま話〕
不安と”ハッ、、ハッ、、ハッ、、”のササヤキに耐えられなくなり”何年やっているんすか?”と声をかけてみる。
”昭和40年4月5日から41年やってますねん。前はどこで,やってはったんです?”
じいちゃんは息を大きく吸い込むと意外にも大きい声でカクシャクと喋りだした。
”石川県は七尾市で、その前はタイとい言う国で6年ほどいて散髪もしてましたよ“
”は−、タイでっか?ワテは戦時中、フィリピンに憲兵で行ってましたんや。
昭和16年12月20日に上海から輸送船に乗りましてフィリピンに向かいましてんけど後尾の護衛艦が魚雷に沈められましてなぁ。
それからまた上海に戻って。。。。。。。。”
さっきまで、倒れそうなじいちゃんが突然戦時中の話を延々と喋り出したんである。
しかも髪をすいてくれている間はまだいいが、話に熱中してくると小生の鼻っ柱でカミソリを止めて喋りだすので顔は自然と横向を向き、じいちゃんの顔を見て聞くはめになる。
”あんとき海軍の山本五十六が停戦ゆーたのに陸軍が長期戦を決めましたんや。
アホなこっちゃ。。。。そんでねぇ。。。。”
30分たっても、じいちゃんはカミソリで頭をなでているだけで、いっこうに先へ進む気配がない。
"あのぉー、もっと横をすいてください。”
”はいな。。。。フィリピンはね、さとうきびが、よーけ取れよってね。
それを発酵させると酒ができよるん。
これが、ものすごーあもーてね。
軍人が馬鹿にして飲みよるんけど、しばらくすると足腰がたたんよーになって便所にもいけんようになるんですわ。
”ほぉー!そうとう強い酒やね。50度くらい?“
”まぁ、そんなもんでっしゃろ。ワテ飲めませんから。”
〔じいちゃんとバァバァ〕
結局じいちゃんは、フィリピンはタイと同じくらい暑いんだと言うために戦時中までさかのぼり、その話と散髪が終わるのに1時間半を要した。
話に聞き入ってしまったせいか、気がつくと何度もはさみで側面をすかれ、小生の頭はもぎたてのとうもろこしのようになっていた。
”ミミ出さんでね、って言うたのに。。。。”
と思ったものの、文句を言ってやり直しされた日にゃ取り返しがつかなくなりそうなので止めた。
”ところでお年は?”
”今年で91になりますねん。”
”な!!!!!!! へ??????。。。。。。あ,ありがとうございましたぁ!”
思わず散髪台の上で両手をひざに乗せ文句どころかフカブカと感謝のお辞儀をしていた。
終わってから千円札を4枚差し出したら、そこから2枚とって
”散髪だけやし2千円で、えーです。変なとこあったらいつでもゆーてや。ワテ腕に自信ありますよって、いつでも直しまっせ。ホンマおおきに。”
家が傾いてビクともしないドアを小生に代わり”ガコン!”と一発で引き、送り出してくれた。
帰り道、何故2千円なのか不思議だったが、壁掛けの料金表に書いてあった”お子達2,000円”が頭をよぎる。
いくら90過ぎたじいちゃんでも40過ぎたオッサンを中学生より下と見誤ることもないやろうに。
分からん。。。。家に帰って顔を見せるなり嫁さんが噴出した。
右と左の横の長さが違うし、トラガリ。
晩メシはその話で盛り上がり、トラガリの大トラが出来上がった。
もちろんあの店は次に転勤になるまでは行き着けだ。
41年前50歳から始めた散髪屋以前のじいちゃんの人生も聞きたい。
が、次はとうもろこし頭にならんよう鏡をにらんでおくぜ!
それ以来、路地のクルクルが回ってるか横目でみるのが週末の日課になっている。