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Somekawa & vafirs

『コタツの脚 事件簿 最終編』

ヤミヨのカラス

【イントロ1993年】

独身を謳歌していた福井赴任6年目の1993年。
会社の海外派遣要員に登録させられたと思ったら、上司の課長に呼び出され、唐突にタイ赴任の要請を受ける。
聞けば、タイ事業所の生産管理マンが隋看板ヘルニアを悪化させ緊急帰国のための後任人事だった。
直属の課長が業務命令の一つとして言うには、 “見合いでもなんでも良いからタイ赴任までに嫁さんを見つけて結納を上げること。 またタイ赴任後3カ月目に一時帰国休暇をあげるから、その時に結婚式を挙げて夫婦でタイに行ってくれ。”だ。
呆れて吹き出した。
と言うのもタイ赴任までに4カ月しかなった。

どうせ、上層部からの命令で、課長は損な役回りをさせられているだけだ。
彼も様々なプレッシャーを受け、そのストレスで顔面神経痛を患い、顔がヒョットコ顔になっていた。
パワハラ、モラハラの概念すらない時代である。
が、その業務命令に、とーっても違和感を感じた小生は2、3日考えはしたけれど、お断りさせてもらった。
上層部に報告しなければならい課長さんは困り果て、ヒョットコ顔が益々ヒョットコになっていた。

その翌年。
縁があって結婚したのであるが、業務命令に従わなかった奴に海外赴任のチャンスは2度とない。
挙句の果てに、2人の同僚も他の事業所に異動させられ小生一人に集約。
更に倉庫まで見させられ首までどっぷりこの事業所に浸かってしまい、定年までここで働くだろうと覚悟を決めた4年後に今回の事故に遭遇したのである。
実を言うと、吹っ飛ばされた3本の歯の1本は昔、酔っ払って顔面を強打し、既に壊死して黒ずみグラグラしていた。
“痛くなったら医者に行ってみてもらおう。”と思っていた矢先、周りの歯は犠牲になったものの、コタツの脚が一気にやってくれちゃった感じで気持ちも前歯もすっきりだ。

【転機】

幼馴染の歯医者は何回か調整でピッタリにしてくれ、差し歯の調子にもすっかり慣れた半年後の9月。
タイの事業所から我事業所の所長に一本の電話が入る。
小生の代わりにタイに赴任した担当が1年半で帰任となり、更に担当を二人投入したが、どちらも2年もたず益々納期トラブルが酷くなり、得意先、営業からクレームが噴出していた。
またタイ人の士気も落ち退職率も増加しているので工場を安定させるために、その商品を知っている生産管理マンを寄こして欲しいとの要請であった。
しかし、事業所長は、 “うちも業務革新で生管マンを一人にした。これ以上出せる人材は無いので他を当たってくれ。”と、要請を拒否。
普通はここで終わるところなのだが。。。。。。
その返事から数日後、本社のNO.2から電話があり“11月までにタイへ1名出向させよ!”との天の声が掛かる。
事業所長の選択肢は “はい!喜んで!”しか残されていない。
実質トップであるNO.2ににらまれたら日本の山奥どころか、全世界の僻地へ永久出向だ。
一瞬で小生は一本釣りされ、2カ月の準備期間しかない中でタイの赴任が決定したのであった。

【偶然か?必然か? コタツの脚事件簿】

タイ王国。
今でこそ、ホスピタリティの国で医療関係は充実しており、日本のリタイア組も“終活”として大挙してきているが、当時のタイは細菌のメッカと言われるほど衛生面が良くなく、地方の医療事情は悪かった。
特に歯科の技術は遅れていた。
例えば、ある駐在員がタイで歯の治療を行った。
虫歯を抜かれてブリッジにしたのであるが、その治療費が百万円で保険会社と大もめにもめる。
海外は日本の社会保険ではなく、海外保険で全て賄ってもらえる。
しかし歯の治療費百万円は、あきらかに日本人へのボッタクリだ。
しかもそのブリッジの技法は日本の20年前のもので、その後、彼は帰国してやり直すはめになる。
よってこの事件以降、医療技術が改善されるまで歯と痔の治療は日本に帰って行うものとなった。
(痔の切り取り方も、日本人医師が絶句するほど酷かったようである。)
また別件であるが、日本で保険適用の差し歯を入れた駐在員は、それが外れてしまった。
しかしタイでの治療を恐れた彼は2年に一度の一時帰国まで我慢することに決める。
そのため、その差し歯を舌とくちびるでパコパコ開閉し挨拶できるくらいの芸達者になってしまったのである。(“ゲコの成せるワザ”の主人公Y)

そういう奴らの話を聞く度に、何事もなく仕事に集中できている自分が不思議でならなかった。
もしあのコタツの脚が飛んでこなければ、タイで歯を抜いてボッタクられ保険会社と大揉めし、しっくりこない差し歯でストレスを抱えながら仕事に支障をきたす可能性だって考えられる。
また、タイ赴任が決まって2カ月の間に歯の治療を行う余裕も時間もなかった。

そう考えるとコタツの脚の事故自体、偶然だったのか?とても不思議に思えてくる。
と言うか、何か目に見えない大きな力が、歯を吹っ飛ばしてくれたのではないか?とさえ思えてくるのである。
そして小生はタイで6年近く過ごし、その後も問題部署を転戦する転勤族となった。
今は京都で働いているが、そのセラミックの差し歯は何ら問題もなく、キラリと光っている。

人生には、いくつかの転機が待ち構えており、どこでどう巡り合うかは分からない。
そして何がしかの出来事は、偶然のように見えて必然だったりもする。
そう考えさせられたコタツの脚事件簿でありました。

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