樽谷精一郎
はや十何年ぶりである。
学生時代を過ごした金沢に、ようやく訪れる事が出来る。
金沢での仕事に声をかけて頂き、小躍りした。
出張準備も心なしか平時より捗った。
昂揚した思いで掛け乗ったサンダーバードが金沢に近づく程に、胸が高鳴る。
当時は電車賃も無く、古い乗用車で走りに走った国道8号と併走を始めると、どんどんと心が学生時代の記憶に誘われた。
金沢。
ホームと改札は面影を残したままであり、胸が熱くなった。
駅を一足でると、新しい金沢。
美しい曲線を描くドームと、木造のオブジェ。
駐車場だった場所には、音楽堂が。
近々開通予定の北陸新幹線を、今や遅しと待ち構えているようだ。
素敵に変化を遂げている。
北陸を代表する街は、いつのまにかより洗練された近代的な町に変化していた。
でもどこか寂しい。
美しくなった昔の恋人と再会した時に感じる隙間に似た感じだろうか。
時代などというと諸先輩方に笑われるかもしれない。
しかし、なかなかどうして浦島太郎のような思いで一杯になる。
町に、時代に、一人とり残された。
こうやって、町は変わる、時代も流れる。
そんな当たり前の事を自分に言い聞かせながら、仕事を終えた。
そういえば金沢を離れ、一度旧友が病床に伏した際に一度訪れた事があった。
このときは、都内にとんぼ返りで街も景色も見る余裕も無かったが。
タクシーを降り、片町を歩く。
雰囲気は大きく変わらないまでも、自分の知る街とは少し変わっている。
犀星も、熊本ラーメンも…。
ついつい目が無いものばかりを探している。
時代が変化していることを愚かな自分に見せつけるように。
あの店はどうだろうか。
あった。
両手に剣と盾をもち、時代に抗い続ける男が立ち続けていた。
狭い階段をのぼりドアを開けると、今も変わらぬオールドスタイルのカウンター。
決して気取らない、重すぎず軽すぎず、丁寧な佇まいのマスターが出迎える。
変わらないもの、そんな安堵感に包まれてはじめて、“訪れた”という思いが“帰って来た”という感慨へと解け始めた。
学生時代に背伸びをして、幾人かで店を訪ね、タダ同然で飲ませてもらっていた場所。
今から考えると無粋な振る舞いが、ただ恥ずかしい、懐かしい。
その頃とは年月を重ね、仕事に就き、家族を持ち、話す内容も言葉も変わった。
そんな意味では、初めてこの店に来たようなものだ。
無知で、横柄で、不遜な態度の若造に対しても、提供し続けてくれた場が在り続けてくれる。
だからこそ、微妙な変化でさえも気づかせてもらえるのだろう。
ただ、幸か不幸か、癖も大切なものも当時とそうは変わっていない事にも気づかされる。
変わる事も難しい、変わらない事もまた難しい。
感謝の思いと一抹の気恥ずかしさにゆったりと浸りながら、貴重な時間を過ごさせていただいた。
世の中は、時代は、などと大きい事を言うつもりはない。
しかしながら、人は変わるもののなかで変わらないものをみつけ、変わらないもののなかで変わるものをみつけるものなのかもしれない。
そんな先人の言葉が今、やけに心に沁み入る。
十年以上の月日を経て、私にとっての金沢、そんな場所にようやく出会えた。
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