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(C)2003
Somekawa & vafirs

『34年物』

奥平光城

グラスゴーはあいにくの雨らしい。
急を要する仕事があったので金曜日の夜中に電話を掛けると、電話の向こうでは、せっかくのスコットランド旅行なのに雨に見舞われてパブぐらいしか行けない、とぼやく声が聞こえた。
あまり残念そうに聞こえなかったのはどうしてだろう。
先日、グラスゴーのパブで、タンブラーグラスに注がれたウイスキーに、水を数滴垂らす飲み方を教わった。
スコットランド人の言葉を借りると、熟成されたウイスキーであればあるほど、ストレートで飲むよりも本来の香りが解き放たれ、まろやかな味わいが楽しめるのだという。
電話先の彼も、パブでウイスキーを楽しんでいるんだろうなと思うと、少し羨ましく思うのと同時に、週末になっても仕事に追われている現状がみじめに思えてくる。

夏の終わりにあまり良い思い出はない。
この夏も仕事に追われ、金曜日の夜中になってもがいていると、幼い頃のこの時期も、夏休みの宿題とやらに追いつめられていたことを思い出す。
夏休みの宿題はそのうち敬老の日が提出の目標となり、秋分の日に解放されることを繰り返していたのが懐かしい。
計画性がないのではない。
追い詰められないと実力が発揮できないタイプなのだから、もっとも効率的に物事を進めているだけなのだ。

お盆過ぎに実家から一箱の郵便小包が届いた。
田舎の両親が荷物を整理していると倉庫から僕が小学校の頃につけていた日記が出てきたらしい。
何でも大事に保管しているのは、昭和世代の性格によるものだと思うのだけど、一昔流行った、心がときめく整理術が九州の片田舎まで浸透してきたようだ。

残念ながら古い日記が見つかって、当人の心がときめくことはあまりない。
妻が興味本位で日記を開く。
8月2日 はやしだくんとあそんだ。
おやつにアイスクリームをたべた。
おいしかった。
というような日記が延々と続く。
もう少しまともな文章を書いていたはずなのだけどなあ。
記憶というのはウイスキーと同じで、長い時間をかけて熟成され変化を遂げる。
34年モノの日記は、僕にとってはほろ苦く、そして妻にとっては絶好の笑いのネタになってしまった。
さんざん笑いあかした後、妻はこれを子供達には見せないと決めつける。
普段の子供達への指導が台無しになるというのがその理由なのだけど、僕は一瞬にして寂しい気持ちになった。

妻の教育方針のおかげで、子供たちは夏休みの最後の週末に慌てることはないらしい。
子育てのなかで最も大事なことは、厳しさや愛情ではなく、いかに「自分のことはさて置き」を徹底するかにある。
自分のことはさて置き、夏休みは計画的に過ごさないといけない、と子供たちに金科玉条を掲げる妻にとって34年モノの日記はあまり望まれるものではないらしい。

ところが、物事というのは親の望む方向には進まない。
数日後、小学2年生になる長女がその日記を見つけてしまった。
漢字や句読点の間違いにはすぐに気が付く。
普段、母親から厳しく怒られていた間違いが散見される悪いお手本だ。
小学生の僕は、まさか34年後、自分の子供に日記を読まれるとは思っていなかっただろうなあ。
さらに妻から「あなたは私の普段の努力を無にするつもりなの」と叱責されるのが目に浮かぶ。

ただ物事は悪い方向ばかりにはすすまない。
子供というのは時折、親たちが考えていないことに気が付く。
お父さん、毎日、日記をきちんと書いていたんだね、と妙なところで感心していた。
おそらく夏休みの最後に頑張った溜め日記だと思うのだけど、34年前の日記帳からはそれを見分ける手掛かりはない。
今回の一件で、長女に継続することの大切さが伝わったのであれば、親と子の良い思い出の一ページを刻むことが出来たのかもしれない。

ロブロイストの日々を書き上げ、さすがに34年モノというわけにはいかないので、8年のウイスキーをタンブラーに注ぐ。
もちろんスコットランドのパブで教わった飲み方だ。
8年前の妻は可憐で優しかったなあと熟成された記憶に頼らないようにしようと思う。

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。