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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

我が家の猫さま

我が家の前の道路向かいの事。
ほとんど水は流れていない、ちょっと深めの用水が通っている。
その底でミャー、ミャーォ、ミャー、と鳴き叫んでいた猫を助け上げ、結局我が家で飼う事になり、早いものでこの六月でまる三歳となる。
雄の見事なキジトラである。といってもキジトラの純血種、もしくは血統書など聞いた事がないので純粋な雑種?、という事になるのだろうか。
キジトラ、またアメショーもそうだが、猫の額にその模様の加減で「M」の字が浮き上がるのでそのまま娘が「エム」と名付けた。

見事といってもしょせんキジトラ。
雑種である限りは売り物にはならないのだろうと思っていると、猫好きで有名な作家、「中島らも」の本の中にペットショップでキジトラを3000円で買ってきた、というのを見つけ「ホウ〜、一応値段がつくんだ・・」(恐ろしく安い値だが)と思いながらその猫の写真も載っていたのだが、そのキジ模様が我が家の「エム」の方がはるかにはっきりとし、綺麗だ。
これなら3500円はするだろう、と勝手に値段を付けた。

ところで捨て猫であるにも拘らず、ちゃんと、かつ公式に誕生日もある?・・・。

というのは一年くらい経つと鳴き声が変わってきた。
「ニャオー」から何やら「ナオー」となり、そして「マオ〜」に変わり、しまいには「モォ〜モォ〜〜」と牛のような鳴き声に変わってきた。
ようするにサカリがきたようである。 「はや成人(成猫)したか、ふんふん」と感心してばかりもおれないらしい。
メス猫を与えられればいいのだが、そういうわけにもいかない。 そのままほうっておくと、暴れ出したり、そこかしこに小便を垂れ流したり、いろいろと不都合が生じるらしい。
そこで猫にとっては不本意であるだろうが「去勢」する事となった。

近くの獣医さんへ連れて行った。
市から去勢費用の補助もあるらしい。
捨て猫であったこと。その時の体重が380グラムであった事を告げると、その獣医さんが「その体重だと生後一カ月くらいかな?」ということだったので、我が家に来たのが6月20日。 で一カ月遡り、誕生日は5月20日、という事に決まり、目出度く日本国へ名前は「エム」で「5月20日」誕生日登録、となったのである。
無事去勢手術も終え、まだ麻酔で意識朦朧状態のまま家に連れて帰ったが、しばらくして意識も戻ったようだ。
タマタマが無くなったせいか、心なしか後ろ足が「内また」気味かつ、お尻をシナッ、シナッと振っているように見えるのは、たぶん気のせいだろう?。
気のせいでないのは鳴き声である。
これこそ見事に普通の鳴き声「ミャーッ」に戻っていた。
勝手に去勢させられた猫に「その後ドナイヤ調子は?・・」と聞いてみると、 「ニャ〜ンともニャ〜〜ン」と聞こえたので、これを人間語に訳すと「ナ〜ンともナ〜イ」と、さしたるヒネリもなく、こう言った事にした。
その頃には成猫となっており、体重も5キロ丁度。これは三歳になった今でもキープしており、おそらく平均的ではないかと思う。

ところで相変わらず自分本位な「猫さま」である。
腹が減ってはニャ〜ンと鳴き、マグロの缶詰を混ぜたキャットフードを食べ。 しばらくしてまたまたニャ〜ンと鳴くと今度はカニカマか、猫用煮干しのオヤツを出してやり、食べると今度は吾輩のトイレ(猫砂)のところへ行きゴソゴソッと掘ると、ジャーと勢いよくオシッコである。
そして砂を掛け、チラッと人間どもと目を合わせる。
その目は「すぐ始末しとけよ・・」と言っているようである。
事実始末するのだ。

それからひとしきり走り回ったり、二階のベランダから世間を見まわしたり、そうこうする内にまた猫砂をゴソゴソやったかと思うと、今度はウンチである。
前より力み方が違う。容器の角にグッと両足を付け、グッと腰を落とし、顔も引き締め、おもむろにボトッ、ボトッと固いのが落ちてくる。
そして砂を掛けると人間どもにまたチラッと目をやる。
「ハイハイ」となる。
体が軽くなったのかまた元気に走り回り、そのうちにゴロニャ〜ンと所定のクッションで寝る。
やがてむっくりと起き上がるとニャ〜ンとなり、次の食事、もしくはオヤツの時間となる。

そのオヤツであるが、イワシの煮干しをやると頭は綺麗に残してある。
なんという贅沢な奴だ、と思っていると上記した「中島らも」のキジトラも頭だけ残すと書いてあったので、この頃の猫は贅沢になったものだ。
昔ならご飯に味噌汁(ねこまんま)をぶっかけ、与えると喜んで食べていたものだ。
試しに一度ネコまんまに花ガツオを振りかけ与えてみたところ、ひと舐めもせず「フン」と容器から未練なく離れていった。

今さらに思うが、ネコには「媚(こび)を売る」発想など一切ない。
人間がネコを飼っているのではない。「飼われてやっているのだ」と猫は思っているだろう。
人間がトイレや食事の世話をしているのではない。 「世話をさせてもらっているのだ」と、ありがた〜く思わないと猫とは付き合えない。
猫ではない。「猫さま」なのだ。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。