さてまた今年(平成26年)も終わろうとしている。
まぁ、普通に生きている限り、ひと様に言うような、ある意味大変な事がある訳ではないが、個人的ニュースとしては毎年何がしかあるものである。
まず昨年は12月30日、我がロブロイの仕事納めという大事な日、体の震えで目覚め、そのまま救急車で病院送りとなった。
急性肺炎であった。(この事は退院したその月に「いきなり入院」というタイトルで書いた)
とうぜん仕事納めも出来ず、大晦日の一杯やりながらの年越しソバも食べられず、新年を病院で迎える羽目となった。
幸いに回復は早く一週間で退院できたが、それでも仕事始めの3日には間に合わず、6日からの営業、とまあ、何やら不本意な仕事始めとなってしまった。
ただ新しい発見もあった。
病院食であるが、特に食事制限がある病気ではない。
結果正月三が日の病院食も、お節らしいメニューとなっており、タイのお頭付きあり、カズノコ、黒豆他、さすがに刺身はないが、代わりにサワラの昆布ジメとまぁ、
とにかくそれなりに出てきたのには思わず「ま、これはこれで良いか・・」と独り言をいいながら食べたものである。
しかし、できたら年末年始を病院で過ごしたくはない。
という事で、今年の一月は始まった。
二月になり、嫁さんの兄(といっても僕より年下だったが)入院したという知らせがあった。
嫁さんと今度の日曜でも見舞ってくるか、と話している数日後、見舞うまもなく、今日亡くなったという知らせ。
ちょうど還暦ではあったが、早すぎる死である。
なんせ酒好きだった。
遡ること数年前、肝臓値のあまりの高さで入院した事があった。
にもかかわらず、入院中こっそりと隠していた酒がみつかり、「医者にこっぴどく怒られてしまったわい」と笑っていたのを思い出す。
何回も一緒に酒を酌み交わしたが、呑み癖が悪いわけでもなく、いつも楽しい酒であった。
それが元だったのかどうか分からないが、随分内臓が弱っていたらしい。
入院して一週間経たぬうちにポックリ。
いわば潔い(いさぎよい)死にかたである。
僕もそうでありたい、とは素直に思う。
かなり昔の事になるが、お客でサブローという男がいた。
彼が三十代の頃である。
かなりの酒のみであった。
いつもジンかバーボンのオンザロックであったが、差し出してもすぐには飲まない。
しかしグラスを持つと一気にグイッと飲る。
二杯目のオンザロックを差し出す。
ころ合いを見計らって、また一気にグイッ。
それを何回か繰り返し、やがて「紙と鉛筆」となり、なにやら詩らしいものを書きだすという、実に繊細な男であった。
その彼の口癖が、「俺は酒で死ぬ」であった。
そして四十歳代になり、何回目かの入院の折、自分で点滴の管を引きぬき、この世とおさらばしたのである。
46歳であった。
その後、墓に移された。
彼のボトルがまだ半分以上残っていた。
僕は継ぎ足し満杯にすると、墓石へ全部ドボドボドボッと掛けると「サブロー、美味いか?」と言ってみたが、もちろん何も聞こえなかった。
年末・年始にあたり、何やらちょっとそぐわない話となったが、何故か書いてしまった。
皆さま、お許しください。
さて2015年(平成27年)未年。
僕は未年ではないが、小学校、中学校と羊を飼っていた。
実に人になつき、怒る事もなく、ただただ飼い主に着いてくる。
僕が学校へ行く度「行くな〜」と毎日泣いていたのを思い出す。
さあ、あの暖かい羊毛に覆われ、気もやさしいヒツジ。
来年は全ての人にとって、身体もココロも。
そしてフトコロも暖か〜い一年となりますよう、心よりお祈り致します。