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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

癖と習慣

今回は「癖」という曲者に触れてみようと思う。
よく「なくて七癖」というが、なくても七つあるという事は、それ以上「ある」という事になる。
はて?と、我が癖について思い浮かべるに、すぐ七つも思い浮かばない。
じんわ〜りと、あれも癖かなあ〜、あー、あれも癖かなあ〜、とふたつみっつ思い浮かべるうちに、ふと、ん?、癖と習慣とどう違うのだろう、と思ったのである。

たとえば僕はラジオが大好きだ。
車もCDなど要らないし、ましてや車に乗ってまでテレビを見ようなど思わない。
ラジオ、それもAM放送で十分なのである。
放送の内容は何でもよい。
とにかくなにがしの「音」が鳴っておればよいのである。
寝るときも聴きながら寝る。(一応タイマーはかける)
夜中に、何やら目が覚めたとするとまた30分タイマーをかけ、聴きながらまた寝る。
風呂場はというと、僕のラジオ好きを知り、ある方に防水ラジオを頂いたので、実に重宝している。
脳みその少ない僕もたまに考え事をしたりする。
すると考える前にラジオのスイッチを入れる。
当然この雑文を書いている今この時もAMラジオを聴きながら書いている。
ようするに何がしかの「音」がしないと不安なのだ。
で、これを「癖」というのか「習慣」と呼ぶのか、はて?どっちだろう。
ただ音に関しては僕の場合、ほぼ「無音恐怖症」といってもいいくらいなので、これはほっといても良い病気、という事にしておこう。

癖というと「あいつは一癖も二癖もあるやつだ」とあるように、あまりいい響きはない。
習慣はというと、あいつは「ひと習慣も・・」など聞いたことが無いので、とすると仮に「悪い習慣」があったとするとそれは「癖」になり、 仮にいい癖だと「習慣」というのではないかと思うが、何やら分かったようで分からない。
そこで素直に広辞苑で引いてみた。

癖はというと、「かたよった嗜好、または習慣」となっている。
習慣もあるという事はかたよった習慣、もある。という事になる。
ついでに習慣も引いてみよう。
「日常の決まりきった行い。しきたり。ならわし。慣習」となっている。
ここでは癖は出てこないのでやっぱり癖の方が「曲者」のようである。
この際「曲者」も引いてみよう。
「ひとくせある人物。変わり者。変人」とあり最後に、「大方、人に従うという事なし」とあるので、これは結構面白い。
おそらく習慣の度が過ぎると癖になり、それを越すといよいよ曲者になるようである。
取りあえずこの三例を見る限り「曲者」と呼ばれないよう「いい習慣」を身に付ける事にしよう。

僕のラジオ好きはまあよいとして、聴くと言えば耳。
こじつけではないが、耳かきも大好きなのである。
耳かきのコレクターでない、とにかく毎日ほじる。
ようするに耳掃除といえば聞こえは良いが、ようは耳アカを採るのである。
それもテーブルに直接落とさないと気が済まない。
ほじって落ちてきた耳アカを目で確認しないとほじった気がしないのである。
家族はティッシュを敷いてその上に落として、というが白い上に、やや白いものでははっきり見えない。
それでは満足できないのである。
アカといっても毎日の事そんなにある訳ではないし、そもそもアカではないと思っている。
もともと渇き症なのだろう、内耳の皮膚を削ぎ落しているわけで、いわば僕の分身なのである。
なにかしら愛おしい。
だからこそしっかり確認し、雑巾ではなく指でやさしくつかみ、ゴミ箱へ入れるのである。
で、耳かきは「習慣」と僕は思っているのだが、家族からするとそれは習慣ではなく癖、それも「悪い癖」なのだそうである。
もっともテーブルへ直接落とさなければ何も問題なさそうであるが・・・。

今大変なニュース、またワイドショーを賑わしている67歳の女性。
夫、前夫など、ごく身近な人物が7人も不審死しているとの事。
もしホントであれば、テレビカメラの前で堂々と否定している姿をみると、これぞまさしく「曲者」と呼ぶべきであろう。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。