端野威輝
3月13日のJRダイヤ改正で、寝台特急「北陸」と急行「能登」が姿を消した。
3月12日、仕事を終えて自宅でテレビを見ていると、金沢駅から発車する2つの列車が中継され、全国に放映されていた。
それらの列車の最後の雄姿を見ようと集まる人たち、写真に収めようとする人たち、乗車している客たち…それぞれが寄せる想いに汽笛で応え、急行「能登」が、そして寝台特急「北陸」が金沢駅のホームを後にしていく。
いずれの列車にも乗車したことがあり、自分にも2つの列車それぞれに思い出がある。
テレビの画面に向かって、「ありがとう」とつぶやいていた。
東京駅発着の寝台特急が姿を消すときもニュースになったり、後日ドキュメント番組になったりしていたが、「北陸」と「能登」が全国ニュースで取り上げられて生中継されるなどとは、正直思ってもいなかった。
他局系列でも取り上げていて、ニュースバリューは十分にあったようだ。
「能登」の場合は臨時列車として継続されるが、ボンネット型特急車両最後の定期列車だった。
「北陸」は、いわゆるブルートレインで、残り少なくなったブルートレインがまた1つ姿を消すという、時代の流れを感じさせる出来事だ。
そして何より、この2列車が夜行列車であることが、昭和という1つ前の時代への懐かしさを誘うのだろう。
私は夜行列車が好きだった。
子供の頃から、旅行で夜行列車を何回か利用したように思う。
自分の記憶にハッキリ残っているのは、中学2年生のときに初めて一人で乗車した寝台特急だ。
鹿児島に寄港した父に会いに行き、その帰りに西鹿児島駅から大阪駅まで乗車したのではなかっただろうか。
見知らぬ土地で、夜のホームに発車を待つ列車…。
子供心に旅愁を意識したことを憶えている。
発車後の車内で、たまたま隣り合わせた人と会話を交わし、自分の寝台にもぐりこんで好きなトラベルミステリーを読み、いつしか眠りに付いた。
揺れるベッドで十分な睡眠が取れたわけではないが、やがて朝が訪れ、大阪へ到着した。
私の旅のイメージは、この寝台特急から始まっているのかもしれない。
出発直前まで飲み、そのまま乗車して金沢へ帰ってくるパターンが多かった。
先輩と、上野駅や大宮駅の近くで一緒に飲むのが楽しかった。
ただ、やはり十分な睡眠が取れないことで翌日の仕事が辛く、年とともにだんだん利用頻度は減っていった。
「北陸」と「能登」が無くなったことで、夜行列車を利用する機会はさらに減りそうだ。
最近、出張ではなく、プライベートで旅行がしたいと強く思うことがある。
スーツではなく、ジーンズで旅行がしたい。
旅の始まりは、何といっても夜行列車だ。
夜のホームで列車に乗り、照明が弱くなった車内から流れていく街の灯りを、ポケットびんを飲みながらぼんやり眺める。
旅先ではレンタサイクルでも借りて、心に留まった何気ない風景を写真に収めて回る。
夜は地元の居酒屋で浴びるように飲み、ただ寝るだけのために宿に入る。
それを何泊か繰り返し、また夜行列車で帰ってくる。
そんな旅行がしたい。
どんなに時代が変わっても、夜行列車はなくならないでほしい。
私は、心からそう思う。