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Somekawa & vafirs

フォーティ ナイナーズ in ドーゴ

ヤミヨのカラス

【饂飩の旅】
昨年夏に“讃岐うどんを食べまくるぞぉー!”と、休暇をとり、おんぼろ四駆で旅に出た。
京都を出発し鳴門海峡の渦潮を楽しみ淡路島を通過、香川県高松市まで約230キロ。 “讃岐うどんを食うまでは飯抜きじゃ!”と、ど根性で走り抜きホテル横で見つけたうどん屋で飲るキンキンのビールと、うどんは最高だ!

【道後温泉本館】
高松で讃岐うどんを堪能し2日目は180キロ駆け愛媛県松山市の道後温泉本館横にあるホテルに移動。
夏目漱石“坊ちゃん”で有名な温泉街で“坊ちゃん”に登場する赤ひげ、やまあらし、たぬきなどや宮崎駿映画に登場するのキャラクター人形が等身大で商店街に展示されている“ハイカラ通り”や坊ちゃん列車、松山城、などが楽しめる。 (“千と千尋の神隠し”の温泉場面は道後温泉がモデルとされている。) 一通り観光し汗だくになったところで、サムイ姿に着替え道後温泉本館に突入!

道後温泉本館は国の重要文化財となるだけあり重厚な作りで明治の匂いがする立派な建物だ。 日本で唯一の御影石でできた皇室専用浴室がある銭湯で、入り口付近では観光客が盛んに記念写真を取っている。 2階、3階は湯から上がって休憩できる個室と大部屋に分かれている。 3階の個室部屋の奥に“坊ちゃんの間”があり漱石と松山市ゆかりの写真、品々が置かれていた。
嫁さんと風呂から上がる時間を決め1階の“神の湯”に向かう。 脱衣所は50畳はあるだろうか、昔懐かしい銭湯で木製の真四角の脱衣ロッカーが壁3面に並んでいる。

やはり観光の名所だけあり平日だと言うのに脱衣所は混雑している。 空いている場所はないか? と見渡すと、ある一角がすいている。 その場所は、と見るとそこは40番代が並ぶ一帯であった。 “日本人というモンは4と9が付く番号は嫌いなんやなぁ”と妙に納得し、“49だけは嫌やけど銭湯には絶対ない番号や。”とも思った。 が,しかし。。。。

この銭湯には、それはちゃんとあった。
しかも他の40番台はまだ空いているのに49番には既に先客がいるようでゴムの付いた鍵は抜かれている。 “珍しい人も居るもんやなぁ”と思い3の倍数が好きな小生は42番を選ぼうとしたが、そこも先客が居た。 “シッピンは親の総取りや!”とオイチョカブのフレーズで41番に決定。

“神の湯”と名付けられた浴場は白いタイル張りでできており湯船はシンプルに一つ。 湯船から立ち上る湯気と白い壁で,とても幻想的だ。 浴槽の真ん中には何やら白いモニュメントがある。 お湯は、さらさらで結構熱め。 体を洗って風呂に浸かっていると、国の重要文化財であるにも関わらず、さすが大衆のための大浴場、小学生の一団が入ってくる。
昔も今もガキどもの風呂なんぞ罵声と嬌声、更に石鹸の泡なんぞバンバン空中を飛び交うもんである。 しかも銭湯独自のエコーがかかり明治の文豪が愛した銭湯の雰囲気を味わうどころの次元ではない。 嬌声の内容から、これらのガキどもはサッカーチームで、しかも勝ったらしくボルテージは最高潮。 引率の大人の静止なんぞハナッカラ聞いちゃいない。 とっとと上がることにした。

【じいちゃんと褌】
浴場から上がってみると、さすが名湯、じんわりと汗が出てくるので木製ロッカー前にある、これまた年代物の円形の腰掛で一休みする。 何気なしに着替えをする人を見ていると、服を着だした人物が目に入ってきた。 それは小生のロッカーの下にある42番の持ち主。 相当なじいちゃんである。 年は90代であろうか。 あの散髪屋のじいちゃんと互角に戦える年だ。 既にホネカワスジエモン状態で、よくここまで歩いてこれたもんだ、と感心する。 漱石とも、この銭湯で会話したことがあるかもしれない。 と考えていると、おもむろに取りい出したるもの。
越中フンドシであった。 腰紐を閉め垂れ下がりを前に通して完成するのであるが、その動作は、とぉ−ってもスロー。 しかも締め付けが弱く股のところがスカスカで彼のイチモツは丸見えだ。 それに加え尾?骨に貼ってあるカットバンまで発見し何故かニヤけてしまう。
生まれて初めて見る日本人魂が宿る明治男のフンドシと、尾?骨のカットバン。 この銭湯の42番は死ぬまで、このじいちゃんのもんであろう。

【49番の男】
じいちゃんの着替えが終わる頃、ようやく汗が引き、小生も服を着ようと腰掛から立ち上がった。
注意深くじいちゃんを避けロッカーのドアを開けようとしたとき、背中に誰かの濡れた肌が気持ち悪く貼り付いて来た。 せっかく汗が引いて乾き始めた肌に濡れた他人の肌は気持ち悪く、しかも失礼の一言も無い。 ちょっとムカついて振り返ると、そこには49番の扉を開ける男が居た。
彼は中背で小太りな白髪が混じり始めた初老の男であった。 その背中を見たとき、目が釘付けになったもの。 それは,やっちゃんが背負うモンモンなどではない。
背中の傷であった。
背骨から、やや左側の心臓近くに横3センチ位のものが一本と、右側に同じ長さの傷が縦に走っている。 しかも小太りのため、そこの傷だけ凹んでおり、かなり古い傷であることが伺える。
直感で“刺し傷だ!”と思った。 彼はバスタオルを取り出し横を向きで顔を拭き始める。 その目つきは、ぞっとするほど冷たく感じた。

こんな目つきの奴は。。。。などと過去に会った人物のプロファイルが頭の中を駆け巡る。 仕事柄、名刺だけでも2,000枚はくだらない。 営業ではないにしろ、長く多くの人と接してきた経験上、人柄などは大体分かるようになっている。。。。思い浮かんで来た。

。。。。。。15年ほど昔、協力会社が夜逃げをした。 夜逃げ後、ウチの資産が差し押さえられる危険があるため、夜中に忍び込み自社の設備、資材を引き上げるのに大骨を負ったことがある。 その夜逃げの3日前に会社訪問し社長、専務と打合せを行ったのであるが、“何か変な雰囲気やなぁー!”と思った奴等の目つきに、彼の目は似ていた。 人と会話をしていながら自分の事しか考えていない、前を見ているようでアゴを引き上目使いの目。 周りの想いを完全に遮断するような目つき。。。。。。

背中から刺されるようでは、まともな喧嘩ではないだろう。 その刺し傷は女性に刺された傷で、しかもその刺し方は恨みを伴っている。
背中から心臓に向かって両手で刃物を横向きに一突きされるものの肋骨に跳ね返され、一難を逃れる。 逃げ出そうと、あがいているうちに片手で背中に振り下ろされ、刺されたが心臓を外れ何とか命は助かった。 と、その傷は物語っていた。 故に、彼の醸し出すその雰囲気は“苦しみながら死ぬ。”というものを超越したような冷たさを感じる。 如何せん,、何のためらいもなく(?)49を選んでいる事実が、ここまで考えてしまったようだ。

“いかん,いかん!そんなことで人を決め付けちゃ,遺憾!“
1949年4月9日生まれだけれども人も羨むような幸福な人生。 無論、NFLはサンフランシスコ49rsの大ファンだ! しかし若かりし頃、 不運にも肺に病気が見つかり背中から切開する手術を受けた。 が、術後は良好で健康体となる。 何の心配のない生活を過ごし、たまたま旅行した道後温泉で見つけた、めったにないナンバー。 それが彼にとってのラッキーナンバー49なんだ。
と思ってみようと、した。。。。。も・の・の。。。。

一緒にアホな話をしながら楽しく酒を飲める奴。 とは、どうしても思えなかった。

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