端野威輝
目に見えないものがある。日常的に満ち溢れているもの、会話である。
文字にする間も無く交わされる会話の中、不意に相手から発せられる一言が、
いつまでも心の奥深くに刻まれ、記録されていることがある。
「黒のブルースが似合う。」
17、8才頃、ハードロック(深紫・虹・白蛇など)が好きだった私は、Tシャツ・スエットシャツ・ジャンパーなど、
日常身に着けるものは黒ばかりを好んでいた時期がある。
ある時、黒のジャンパーを買った時に、着ている私の姿を見て父が言った一言だ。本当に似合うと思っていたのか?
黒のブルースって言葉の真意は? 聞いてみたいが、あの世の父に確認する術はない。
ブルースを愛するようになって不意に思い出した一言だが、後々の私を暗示していたようで、何とも不思議である。
「そんなに慌てなくてもいいんじゃないか?」
会社に入って、最初の半年は本当に辛かった。理想と現実のギャップに、押しつぶされそうになっていた。
本気で会社を辞めようと思い、父にも認めてもらった。
学校の先生にも相談し、卒業時の担任の先生には「しょうがないんじゃないか…」と言われた。
もう一人、お世話になった先生にも報告の感覚で相談したのだが、その先生からこの一言を言われた。
よく憶えていないが、この言葉をきっかけに辞めることを思いとどまった。その数ヶ月後に今の職場の前身に移動となり、今に至る。そして、半年後には父が他界することになる。今にして思えば、自分の人生でここまで重みの出た一言はない。
先日、十数年ぶりでその先生にお会いした。その時のことなど私自身も忘れていて、お礼を言わずに別れてしまった。
「黒人のブルースを聞いてみたら。」
ずっとハードロックが好きだった私がブルースを聞くきっかけは"Dixon"がキーワードではあるが、
ブルースに目を向けるきっかけは別にある。
どういう状況でどういう流れでかは忘れてしまったが、学生の頃に同じクラスで学んでいたベーシストからこの一言を言われた。
音楽的に幅の広い彼のこの一言をきっかけに、ブルースって何だろうと思うようになった。
卒業後にブルース漬けとなった頃、出張時に彼と高円寺で飲み、ライブを楽しむ機会があった。
彼の一言について問いかけてみたが、彼は全く覚えていなかった。
「ちょっと、歌ってみたら。」
ブルース好きではあるが、ギターがちゃんと弾けるわけでもなく、ちょっと弾かせてもらってはマスターに呆れられていた。
ある晩、Wさん(または、ヤミヨさんともいう)が来られていて、いつものように弾き語っていた。
私はカウンターで、Wさんの歌とバーボンに酔いしれていた。やがてGeorgia on my mindが始まり、
私もカウンターで、つい合わせて歌ってしまった。それをマスターが聞いていて、この一言を私に放った。
Wさんのギターをバックに、ワンフレーズだけ歌わせてもらった。
これがきっかけで、弾くことはともかく、歌うことは許してもらえるようになった。
この一言がなかったら、今私は歌っているのだろうか?(マスターやWさんは憶えているのだろうか?)
文字にする間も無く交わされる会話の中、不意に相手から発せられる一言。
そんな何気ない一言が、一人の人間の人生をも変えてしまう可能性を秘めている。
あなたも、ロブロイで会話を楽しんでみませんか?うまいスコッチとバーボン。そしていかしたブルースに溺れながら・・・。