ヤミヨのカラス
【あれから10年】
京都に引っ越しして10年が経った。
海外を含む工場を転勤族として転々としていたが、ある転機で京都の本社に赴任。
初めて携わる企画業務に戸惑い、京都のイケズな文化に翻弄されていたころ、レトロな散髪屋のじいちゃんに出会い、ロブロイストのお題として投稿した。
それが、10年前だ。
“10年は、ひと昔”と陽水も歌っている。
“じいちゃんとバァバァ”どうでもいい話ではあるものの個人的には、この続きを載せてなかったことが、なぜか心に引っかかっていた。
【再会。。。そしてそれから】
トラガリにされたトウモロコシ頭もようやく伸び、盆地気候特有のうだるような暑い日がようやく涼みかけた7月の夕方。
“くるくる”の回転を見て、2回目の散髪に出かけた。
家自体が歪み、相も変わらず開け辛いドアを“ガコン”と押して入る。
往年の散髪台が鎮座する、ムシっとした薄暗がりの部屋には誰もいなかった。
“こんにちわー すいませーん”と何回も叫ぶが、反応がない。
部屋を見渡すと、その部屋の横に暖簾がかけられており、そのコアガリから廊下が伸びている。
その先から、“チョーン、チョーン”と拍子木の音と“ひがぁーしぃー”と行事の呼び出しの声が聞こえ、大相撲が中継されているのが聞こえる。
人の気配も感じるのだが、無反応だ。
“楽しみの相撲観戦中。こんな暑いのに仕事するのも億劫じゃわい”と、聞こえた気がした。
帰り際、壁に掛けられた料金表を覗き込むと、“お子達2,000円”の横に“おかっぱ 2,000円”を見つけ、“今時、おかっぱする子もおらんやろー!”
と突っ込みを入れながら、他の散髪屋を探しに行った。
その後、何回か“くるくる”の回っている店を覗くが返事なく、駅前の散髪屋が馴染の店になった秋の日、じいちゃんと再会する。
それは最寄りの駅を降り、街灯がポツポツと灯り始めた帰宅途中、500mほど先の歩道に白い服の人が見えた。
どんどん距離が詰まるので、立ち尽くしているのかと思ったが追いついてみると、なんと92歳の散髪屋のじいちゃんだった。
そして彼は、麻でできた真っ白な風通しが良さそうなスーツと山高帽を着こなし、杖を片手にゆっくりと歩を進めていたのである。
追い越しがてらに前に回り“今晩は!”と声をかけるが、一瞥し、“ヘッ!”と一括されて終わった。
そしてそれが最後の再会であった。
それから3か月、年の瀬で世話しない底冷えのする季節のど真ん中、その“くるくる”は、とうとう回らなくなる。
年が明け寒風吹きすさぶ1月の終わりには、その“散髪屋とくるくる”は解体された。
そして春の陽気が漂うころ、かの地は、のっぺりと味気のない駐車場に変貌してしまっていた。
【じいちゃんとバァバァのスピリッツ】
転勤族にとって最初に気にかけるものは、行き着け飲み屋と散髪屋を探すことである。
じいちゃんに髪を切ってもらった頃、我がアパートの近所に見つけた昭和を感じる場末のスナックが馴染の店になっていた。
結婚まで祇園でブイブイ言わしてた“ミカちゃん”を目当てに週末は老若男女で賑わっている。
たまにカラオケを唸ったりもする我が秘密基地で、ある日ふとあの散髪屋のじいちゃんを思い出し、この地区なら何でもござれの80歳近いママに尋ねてみる。
“あー、去年死んだ散髪屋のじっちゃん。相当かわりもんやったねぇ。腕も悪いかったんで、客なんておらんかったんやない?年なんやし、散髪屋なんかせんでも年金で食えたんやろうにねぇ。。。。。エッ!? 散髪屋の前に何をやっとった?聞いたことないねぇー!”
命を懸けて我が国を守り、敗戦となった後も淡々と生きる。
51歳から散髪屋を開業し40年続けたことも普通でない話である。
しかも腕は悪かろうが、周りがなんと言おうが鋏を動かし人様の髪を切って生業とする。
そして純白なスーツと山高帽を意気に着こなし歩みは遅いが、杖を片手に颯爽と闊歩する。
これも男の生き方である。
さて、小生の記憶が正しければ、このHP“ロブロイ”も14年目だ。
10年と言う時間は、世の中も大きく変わる。
これを読んで頂いているご自分自身や家族の中でも色々な変化があるほどの時の流れである。
しかし驚くなかれ、我がロブロイも来年2017年で40年を迎える。
どんだけ、やってんねん。の世界だ。
そして“ロブロイストの日々“
単純に計算してみても150本以上の様々な個性に溢れた面白い投稿がされてきた。
これもロブロイに来る心優しい飲兵衛の皆さんの協力のお蔭、もしくはマスターのさりげなくしつこい粘り腰であろうか。
それにしても、よくもったなぁ。ロブロイとマスター
90超えてもブルーズやろーぜ!
I'm getting old, but My dream is still in my mind.
<ロブロイストの日々> 毎・月始め更新いたします。