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(C)2003
Somekawa & vafirs

終りなき修行の日々

森川千春

私はコレクターである。呑ん兵衛である以前にコレクターである。 悲しいかな、この性癖はどうしようもならない。

<覚醒の日々>
アルバムにはこう書かれていた。

2歳4ヶ月 積木でも自動車でも、よく似た種類のものを集めてズラッと横に並べることを好む。

・・・"三つ子の魂"は二つで完成していた(堂々)。

保育園の頃、アスファルト舗装もまだ少なく、道にはキレイな石コロがゴロゴロ。いつも下を向いてあるいていた。 水溜りを埋めるために補充される砕石は安易な狙い目。断面がキラキラ美しい。 半ズボンのポケット一杯に詰め込んで帰ってきては粉ミルク(弟の)の空き缶に蓄えていた。

・・・これは後に小学校の高学年の頃だったろうか、父が「庭に敷くときれいだよ」と言ってぶちまけてしまい雲消霧散・・・ 持っていたかった(涙々)。

小学校に入ったころ、小さな赤い花穂をつけるタデ(俗称?赤まんま)の仲間がとても気になった。 ハナタデ、イヌタデ、ヒメタデなど近縁の数種があり、赤〜ピンクまで色の濃淡の差がある。 壮大なオオイヌタデを見たときの感激は忘れられない。この似て非なる赤いツブツブの連続変異。 コレクター魂をくすぐられることこの上ない。見つけるとは掘り取ってきて、せっせと庭に植えていた。 「あんたみたいのを"タデ食う虫も好きずき"というんや」と言われ、 誉められているのか、叱られているのかさっぱりわからなかった。

・・・で、庭はタデだらけになったか?というと、しょせん5、6歳のやること、 ほとんど植え付いてはいなかったのではないだろうか・・・ 父が雑草として処分していた疑惑は捨てきれないが・・・夢見た「赤い穂波・タデ植物園」は実現しなかった(恋々)。

(切手や古銭、カードの類には興味がなかった。こんなもの集めるのはアマチュアである。)

<磯乞食の日々>
究極のアイテム"貝殻"にのめりこんだのは小学校2、3年の頃。 それ以前、おそらく3、4歳からお土産にもらったりして集めてはいたが、 このとき父が富来の増穂浦を見つけてきたことが決定的であった。 後で知ったが、増穂浦は、和歌山県和歌浦、鎌倉由比ガ浜とならび「歌仙貝」の三大産地 (三十六歌仙貝なるものが定められていて、それに因んだ歌を詠む)。 美しい小貝がたくさん打ち上げられることで古くから有名で、将軍家にも献上していたとのこと。 私はここで二百種ほど集めたが、この浜だけで二千種集めた人がいるそうである。

砂浜で貝殻を拾い集める、など、海水浴ついでの優雅な遊び、に思われるだろうが、現実は意外と厳しい。 海の荒れる冬場がたくさん打ちあがること、そして他にもライバル(観光客や地元の貝細工職人)がいることから、 美しいもの、珍しいものを狙うのは寒風吹きすさぶ"冬の早朝"ということになる。今から思うと、 たまの休みの早朝に寒い海に連れ出される父は災難であったろう。

この磯乞食(コレクターは自嘲もこめてこう呼ぶ)、高校以来、長らく中断していたが、昨年再開。 砂をごそごそかき分けていると、ほろ酔いの老人がよってきた。
「だんなさん、貝細工の人かい?」
手にはワンカップ、しかし中には酒ではなくベニガイ(桜貝の大きいみたいなの)がたくさん入っている。
「これ一杯あつめると2千円なんじゃ」
酒を飲み干したあと、空いたカップにベニガイを拾い集めて細工職人に持ち込むらしい。 (う〜ん・・・まさしく正統派?磯乞食・・・いや失礼) 私は職人ではないので丁重にお断りした。

私の採集物を覗き込み、 「そんなものカネにならんぞ」 「沖に堤防できてからベニガイがさっぱり上がらん」 などとブツブツ言いながら去っていった。

(ベニガイには興味がない。そんなもの集めるのはプロである)

<岡採集の日々>
とあるマンションの一室に著名なコレクター兼ディーラーが開設している私設の博物館。 世界に数個しかない、という激レア標本(ン百万円!)が並ぶ。年に数回、 海外のシェルショー(貝殻博覧会、いや貝殻見本市か?)などで仕入れたド珍品の"スーパーシェル"が 良心的な価格で売り出される。

開館(開店?)時刻は午後1時半、新入荷売り出し日には珍品をゲットしようと前日深夜から件のマンション前に列ができる。

会話が怪しい。「やっぱりオトメはいいねぇ!」「またキムスメ買ったの?」 「ヤワハダ見せてくれよぉ」・・・近寄らないでおこう・・・ 「これオミナエシ?」「いや変異型の所謂オトコエシだろうね」・・・少し話が見えてくる。 これ、すべてタカラガイ(宝貝)の名前である。列の中にオトメダカラの熱狂的マニアが紛れ込んでいる。

(タカラガイには興味がない。こんなもの集めるのはシロウトである。)

行動も怪しい。バックの中からなにやら取り出し、クンクン臭いを嗅いで、それを相手の鼻先に差し出し、 また臭いを嗅がせている・・・標本貝の腐肉の抜け具合を確認させているのだが・・・ 深夜の新宿でこういう行動はちょっとねぇ。こうして開場待ちの列の中でコレクター間の取引もまた進行していく。

(腐肉には興味がない。そんなもの嗅ぐのはクロウトである。)

そしていよいよ開場。2DKのマンションにおよそ30人がいっせいに突撃する。 この人数である。一度入ってしまうと最初に確保した位置から移動するのは困難を極める。 列の先頭にいると一番奥に押し込められ身動きできない。古参のコレクター頭?によると、 先頭はわざと譲って5番目〜10番目につけるのがベストだそうな。

位置取りが決まるやいなやバーゲンのワゴンセールの争奪戦さながら一瞬ごったがえすが、ものの5分で勝敗は決する。 獲物を自慢する者(喜)、独り占めして誰にも見せない者(怒)、あきらめてそそくさと帰る者(哀)、 互いの好みの標本を交換しあう者(楽)、眠い目をこすりながら貝談義に花が咲き、 同好会的サロンのようなのどかな休日の午後は過ぎてゆく。

私の特に好きなのはガクフボラ(楽譜法螺:Music Volute)の類。五線譜のような模様がある。 これを演奏しようとした人がいるらしいが、旋律の呈をなさなかったようだ。(マスター、やってみない?)

独身が長かったのでカネにあかせて、根付、ネクタイ、ラン科植物etc.いろいろ買い集めたが昨春の結婚を機に 財政事情が急激に悪化し、どれもリストラの傾向。しかし貝だけはやめられそうもない。

そういえば新居のために整理していたら昔々のケロッグのオマケがごっそり出てきた(呆&諦by嫁さん)。 星人シリーズ、海の楽団シリーズ、工具鳥シリーズ等など。知ってるかなぁ?>40歳以上!

<修験道の日々>
通販やメールでお付き合いのあった日本を代表するハンター兼ディーラー。貝の和名には彼の姓・名を冠したものが多々ある。 「北陸に調査に行くから御一緒しませんか?」とのありがたいお誘い。

・・・しかし、「山に行く」という・・・??? これがまた新たな苦難のはじまりになろうとは。

"○○をやっていると××に行き着く"というような趣味の到達点がよく言われる (ランをやっているとエビネに行き着く、みたいな)。貝はなにであろうか?

どうもカタツムリはその一つになり得る、と最近思っている。これも貝である。 海の貝は海流で拡散するが、陸の貝は歩いて(這って)移動するので、 川をはさむと、山をまたぐと、タイプがまったく違ってくる。県境を越えると種まで違ってくる。 一口にカタツムリと言っても、日本全国、見ているものが同一種ではない。

カタツムリは海の貝に比べ色彩も地味で、形の変異も乏しい。しかし、いわゆる「褐色」としてくくられる殻の色彩も、 黄色がかったもの、赤みの強いもの、黒っぽいものと微妙な変化があり、深みのある色合いは備前焼にも似て日本人好みの 「わび」「さび」にも通ずる。中には輪島塗のような漆黒に黄金の縞(虎斑または火炎彩という)が入るものまである。 老成した個体の反り返った殻口の力強さは名工も及ばない。到達点たるゆえんである。

殻には黒い帯が入っている。4本入る位置があるが、4本全てあるもの(完帯という)から1本もないもの(これは無帯)、 入る位置の組み合わせが違うもの、など、同種の中でも変異に富む (金沢産は0204型という二本帯が圧倒的に多いが富山では完帯が多いようだ)。 さらには帯の太い細い、地色の濃い薄い、扁平なもの、腰高なもの等々。 一つの種類の中で見られる変異を揃えるには100個体は見なくてはいけない、といわれるほど。 これまた「三つ子の魂」をくすぐられる。

さて、このカタツムリ採集、磯乞食に負けず劣らずハードである。雨の日しか出てこない。しかも夜行性。 当然、「雨の夜中」となる。

街中や里山をカッパに懐中電灯でうろつく。不審者扱いされる危険性もあるが、私はいずれにせよ昼間から怪しい。

そして、究極は平地よりも山地のモノ。場所柄、撮影してリリースとなる場合もあるが、 これは大型・濃色で実に見ごたえがある。必然、「雨の夜中の登山」となる。

(晴れた昼間にワナしかける邪道に及ぶ輩もいるが、そんなことするのはテロリストである。)

さあ、あとは覚悟を決めるだけ。 闇がなんだ! 雨がなんだ! クマがなんだ! 落石がなんだ! 土砂崩れがなんだ! ・・と思っていたら、なぁんだ、意外と楽しいじゃない?

懐中電灯のスポットに集中する。昼間は見えなかった様々なモノが見えてくる。 蠢くクラヤミウマ(カマドウマの山バージョン)、じっと動かないヤマカガシの子供(これはちょっと苦手)、 20cmを超す黄金色のヤマナメクジ(意外や神々しい)、異様に静止した木々の陰影(奇妙な立体感)、 谷筋をついてくるようなバキバキいう物音(同業者か?クマか?)、警戒する鳥の鳴き声、 強烈な獣の臭い(猩猩や木霊がいそう)・・・昼間は感じなかったものまで感じる。

山の精気に満ち満ちたところ、ほんわり暖かい。邪気がうずまくところ、一瞬のうちにカラダの芯まで凍りつくような寒気。 大気の中に八百万の神々を感ずるような、不思議な山との一体感。感覚が研ぎ澄まされる。

山で一番怖いのは・・・自分の声。不用意に声を出すと、山の一部になりきっていた自分が急に現実に、 1人の人間に引き戻され、孤独感が襲ってくる。静寂の一部であった自分が、静寂に襲いかかられる。

ちょっと危ないときもあった。 視界10mくらいの濃霧、道の真ん中に高さ2m近い塊が・・・クマ?ついに出たか?・・・ 懐中電灯を振ってみる・・・動かない・・・恐る恐る近づく・・・ややっ!

落ちてきた岩だった。しかし考えようによってはクマより恐い。

「カタツムリを見つける」ということを鍵に山の世界に入り一体となる。「カタツムリを見つける」という課題のために 夜を徹して数十キロの山道を駆け回る。そして運が良ければ「神々しい渦巻き」を拝むことができる。

以前、件のハンター氏が、コレクターというのは「性癖」ではなく「運命」であって、 コレクションは運命付けられた「修行」と位置付けていたことがある。 たしかにこれはもはや修行の世界かもしれない。修行の中身を明かしては満願が遠のくそうだが、 もとよりコレクターに満願などあるはずもない。

私はこの先いったい何を集めていくのだろうか(喜々)。

<ロブロイストの日々>  毎・月始め更新いたします。