ヤミヨのカラス
6月末頃に福島を中心とした大きな余震が発生したことを知り、Hに連絡を入れた。
『震災からちょうど1カ月後の4月11日に震度5クラスの余震があり、その翌日にも震度5クラスがきて、それから後はM6以上という余震は稀になったものの、
それまでの1カ月は震度4以上の余震が数え切れないほどあった。
真夜中に震度5が来ても何度もくるので眠気のほうが勝ってしまって、「もうどうにでもなってくれー」と寝ていたくらいなので、驚かなくなった。』
との返信。
また、福島第一原発による放射能の影響が深刻になっており子供の被爆の方が心配だとか。
子供の細胞は35日で活性化するそうで、夏休みだけでも福島から離れ放射能疎開をさせようと考えている。
全国の心ある方からの疎開申し出に連絡を取ってみるものの、1日20回以上電話しても繋がらないほど殺到しているらしい。
“そんなら、石川の我が実家に両親がいるんで、頼んでみるか?”とメールを送り返したが、その後、Hからの連絡は無かった。
学生の頃のHは、自己主張の強い奴だったのに、子供優先に考えて、即、返信あると思っていたのに、である。
数日がたち、経過を知りたくて国際電話をかけたところ、北海道の小樽に福島県出身の方がいて、子供にかかる旅費、宿泊、食事などは全て向こう持ちという好条件で疎開が決まったとのこと。
“それならそれで、返事してくれても良いじゃないか!”と思ったが、奴も仕事に揉まれ、子供を育て、会社を守り、年をとった分だけ、人に気を使える大人になったんだ。と、口をつぐんだ。
それに比べ、未曾有の大災害を目の前にして政権争いにウツツを抜かしているこの国の政治家、そいつらを操ろうとしている官僚って奴等は、どんな成長をしてきたと言えるんだろーか?
“政府が安全だと言っている原発は、何で奇麗な田舎の海辺にあるんじゃ?ホンマに安全か?髪が抜けるぜ! そんなもん、いらねぇ!”と言う原発をテーマにした曲がある。
RCサクセションの“サマータイムブルース”。
チャラケながら原発関係者を批判している。
RC所属のレコードメーカーが、原発メーカーでもあることから1987年に発売停止を決定。
当時の政府にしてみれば当然だろう。
国民の税金を湯水のごとく注ぎ込み、癒着に継ぐ癒着を積み重ね、原発の安全神話確立のため、アクセル全開だったのだから。
そして約四半世紀後。福島県は放射能により壊れた。
救援、救護、復旧、復興の打つ手が、ことごとく遅れ、風評被害で第3次産業の従事者達をボロボロにし、復旧対策が不透明なおかげで、無意味に争う企業まで作り出す。
それだけでなく、これからの未来を背負う子供たちや、その親の心を、ホッポリパナシで、“直ちに人の健康に影響が出ることはありません。”だ!?
海外にいると日本の情勢に疎くなると書いたが、この国の政治家たち、行こうと思えば、すぐの距離にある被災地の現状には、完全に疎いようだ。
どころか、それを横目に己の立場しか考えず、ガキの喧嘩じゃあるまいに友達作って政権闘争。
皆さんも良くご存知だろうが、石川の元お山の大将の息子みたいな、シャバも知らずに上がってきた2世議員も溢れてる。
特権階級と言うステータスは、この国には無い。
しかし、人を騙しても、大切なものを略奪しても、極端な話、人を殺しても許される階級だと勘違いしているんじないですか?
故郷を思い、身銭を切ってでも動き出す人達がいる中で、“なんじゃ!こりゃ!”だ。
清志郎が生きていたら、国民を奮い立たせると同時に痛烈な政治批判の唄を作り、国中に大きなウネリを呼び起こしていたろうに。。。。
清志郎がいないのなら、昔とったキネヅカを再びブン回し、俺が書くしかないかぁ?
などと、アホなことを考えながら、聴いてみると、今年の夏を象徴するかのような“サマータイムブルース”が胸に沁みる。
いいか!政治家、官僚、原子力関連のアホたちよ。
耐えて偲ぶのが日本国民だとは限らんぜよ!
完