ヤミヨのカラス
話は前後するが、小生の会社の話をしたい。
3月11日。宮城県北部にある関係子会社(工場)が被災した。
幸い津波は届かなかったものの最上階部分の揺れが酷く設備のダメージは凄まじかった。
操業停止。従業員の安否も掌握できず、復旧の見通し無し。
この子会社はマレーシアに生産工程を移管中で、その支援の為、宮城より3名の出向者と5名の出張者がマレーに滞在していた。
彼らは、この地で大震災を知る。
もちろん日本との連絡は取れない。
本社では急遽、復興支援対策本部を立ち上げ、被災した工場に対し人名最優先とした支援を開始。
成田空港がクローズしており羽田は使えそうだが、いつ閉鎖されるか分からない。
また国内線で福島空港まで移動した後、宮城まで移動するバスルートがあるとの情報だが、バスに乗れる保証は無かった。
慎重で有名な我社であるが対策本部は、現地で待機している宮城県人を飛行機に乗せ羽田まで移動させるギャンブルに出た。
マレー出向者の一人である同僚(タイでの元仕事仲間)は、羽田から福島空港まで辿り着いた後、24時間以上の順番待ちでバスを確保。
悪路を這うように移動し、ようやく辿り着いた久しぶりの故郷、会社、自宅は、目を覆うような様相だった。と、奇跡的に繋がったタイからの電話に語ってくれた。
彼らは、家族を安全な場所にある親戚方に避難させ、自家発電のある会社の凍てつく食堂に泊り込み、復旧に取り掛かる。
しかし、石油、食料の物資の支援が始まらない。
そこで、ガソリン満タンの営業の車に支援物資を満載し、特攻の精神で志願した東京支社の社員達は、余震が頻発する宮城へ下道を使い急行。
復旧の手助けをした後、避難する自社トラックのコンテナに隠れ、東京に戻った。
(現地へ向かった数台の車は現地に乗り捨てられ、余ったガソリンは発電に回された。さすが、燃費の良いハイブリット車、急場を凌ぐには何とか事足りた。)
一方、帰国後、支援を始めていた出向者達へは、地元復興支援最優先の為、マレーでの業務を終了し帰任。と言う異例の速さで人事異動が発令された。
(マレー工場は、プロ集団を欠いた中、現地のスタッフと関西出身の支社長で何とか生産を確保している。)
このように、ニュースにもならないような小さな支援をオールジャパンの企業が積み重ね、未曾有の経済危機を何とか凌いだ。
しかし、オールジャパンの支援とは聞こえは良いが、表もあれば裏もある。
ここからが裏面。
東北の業者より部品を購入しているタイの工場も、震災の影響で納期回答がご破算となる。
これにより得意先の某大手事務機器メーカーの生産が数日後に停止確実となるため、得意先の購買部長(バンコク在住)は、
小社のバンコク営業支社長を引き連れ乗り込んできた。
工場側の応対者は小生一人。
購買部長は開口一番“業務の支障になる事は、しませんから情報交換して支援させて欲しい。”と言った舌の根も渇かぬうちに“入手できない業者名と部品の名前を教えろ!”と尋問口調に変わる。
直接関係の無い大手メーカが直接乗り込んで、自社優先で生産させるエゴ丸出しのやり口。
15年以上付き合いのある営業支社長は、昔と相も変わらず、工場の事情も考えなしで得意先側につく。
被災により業者の生産再開目処が立たないこと。業者に横槍を入れられても事態は更に混乱すること。
業者も小社も貴社だけに生産しているわけではない。だから情報開示は出来ない。自社が責任を持って対応するので任せて欲しい。と理解を求めた。
すると、“誰に言っても情報開示できないんか!? お前んとこの社長に言ってもか!?“と詰め寄ってくるので、”はい。“と答えたとたん、彼はおもむろに携帯を取り出し、日本の本部に電話をする。
その言葉に耳を疑った。”ここの会社、社長に言わんと情報開示せんそうや!“
上層部に迷惑をかけ、それを一個人の責任だとビビらせて口を割る。
まさしくヤ○ザの手口。
自分にも火の粉が降りかかる!と、同伴してきた支社長は必死に説得してきたが、無視した。
オールジャパンと言えども、経営となると別の話。
このタイミングで市場のシェアを上げる、または先駆けで復興をPRしライバルメーカーに勝ちたい経営層は必ずいる。完全なる企業のエゴだ。
別の話であるが、福島第一原発付近で半導体メーカーが被災し、車産業を始めとする世界中の生産活動が停滞した。
この時もオールジャパンと銘打ったメーカー各社が現地に乗り込み復旧に当たる映像が報道された。
美談だとは思う。
だけど、表には出ないが“他社は止めてもエエから、我が社、最優先!”の、エゴによる半導体確保と自社の生産再開に向け、
経営トップ層を巻き込んだ、ものすごいドロドロの、ネジコミ合戦があった。と、思う。
続く