N記者
「僕は小さいバーを営っている」
そんな書き出しで始まる名物コラムが、かつて『金沢情報』というタウン誌にあった。
書き手のキャラクターそのままの、何とも人を食った文章なのだが、味わいがあって好きだった。
むろん、その書き手とは、ロブロイのマスターである。
実はそのコラムに、私は二度も登場している。
その一度目のタイトルがそのものずばり「N記者」。
そう、私は全国をわたり歩く新聞記者。
金沢とロブロイには丸々3年、お世話になった。
コラムが載った「金沢情報」が、今も手元にあるので、発行年を見ると、昭和62年とある。
「35歳・ロブロイの店主」とも記されている。
当時、その店主と話したことで今でもはっきり思い出すのは、生まれたばかりの息子さんのことだ。
「いつか、一緒に飲むんだ」と、バーボンを店主自身がキープしたと記憶している。
もうそろそろ、そのお酒も解禁になる年頃ではないか。
ずいぶんとご無沙汰しているので、その後の息子さんのことは全く知らない。
頭脳明晰で、すでに海外に雄飛されている可能性もあるし、
親の言うことなど全くきかない悪ガキに育っているのかもしれない。
そもそも、バーボンなど全く飲めない下戸かもしれないではないか。
人生など、予測がつかないものだ、とつくづく思うのは、自分自身の人生が、四十路を過ぎて妻を得、
ちょっと大きな手術をし、さらに娘を得る、というあわただしい展開を見せているからだ。
いずれ、妻と、バーボンが飲めるようになった娘を連れて、
ロブロイを訪ねてみたいと思っているが、これもまた予測はつかない。
最も意気盛んな、二十代後半の貴重な日々を過ごした金沢だけに、ロブロイにも、思い出がいっぱい詰まっている。
確かなのは、その思い出が消え去ることはないということだ。