ヤミヨのカラス
〇.イントロ
私のあだ名は”ヤミヨ のカラス”
闇夜にまぎれりゃ、どこにいるのか分からぬ生態から付いた
名である。
オールドクローをコヨナク愛し、ギター片手に”カーカー”となく。
因みにタイは暑すぎて黒いカラスはいない。
よって”ヤミヨ のカラス”は私のお気に入りでもある。
@. 思えば遠くに来たもんだっタイ!!!!
もう五年半近くも経ってしまった。
なにがって、タイに赴任してからが、である。
1997年11月。
プミポン国王9世を君主とするタイ王国に赴任して、かれこれ5年と
5ヶ月。
日本企業の生き残りを賭けて働いている、ビジネスマンのハシクレ
=”ヤミヨ のカラス”同様、タイ国タダ一人の絶滅危惧種と言われ
るロブロイスト、でもある。
海外駐在員には”浦島太郎現象”というのがあって、日本の状況
がイマイチわからなくなり、帰任した時には時代の流れに取り残され
てしまう現象のこと。
昔に比べれば、NHK、インターネットは入るし、週刊誌は数日遅
れ、新聞は数時間遅れで入手できるように改善されたとは言え、
日本国をライブで見てないと昔のイメージが優先してしまう。
どんどん自分がタイ人化しているようで怖い。
例えば。。。。
交差点での左折は信号と関係なく、自己判断でいつでも曲がれ
る。
高速道路(スーパーハイウエイと呼ばれている)はUターン、逆走、
なんでもあり。
酒気帯び運転なんて、こっちじゃ取締りすらしていないので、飲み
放題の運転し放題。人をひき殺したとしても、示談金での賠償金
は8万バーツ(約24万円=1バーツ 約3円)程度。
事故って警察がきても、500バーツの”そでの下”を使えば何事もな
かったように離れていく。
拳銃も撃てるし、ちょっと裏道に入れば、麻薬も格安の極悪品が
手に入る。
飛行機で半時間のところにはゴールデントライアングルあり。
プロの殺し屋もいたりして、気に食わない奴がいれば、タイ人1万
バーツ,日本人3万バーツで殺しを請け負ってくれる。
(昔はオネーチャンに恨まれた日本人社長が付け狙われ緊急帰国
した。)
もっと言わせて貰えば。。。。。。
おっと、ここらで止めとこー。
タイは今では,観光誘致国。
余り”ウラ”を教えすぎたら、こちとらの命がヤバイ。
とにもかくにも私はタイにいて、ながーい飽き飽きするような生活を
送っている。
因みに私の名誉のために言わせてもらえれば、上述の行為に関し
て酔っ払い運転を除き、今のところやってない。
”今のところ。。。”と言うところが、何ともタイ人化してるのであろう
か!?
元々イログロだったのだけれども、ゴルフ焼けも重なり一生、色が抜
けないかもしれない。
A.ここは天国か?
タイ工場は休みが少ない。 日本と比較して約三十日も多く働い
ている。
その貴重な休みを、会社の催し物で潰されることも多い。
はじめの頃は面白いが、三年目を過ぎる頃から仕事の一貫となっ
てくる。
嫁さんには文句を言われ、自腹で特上のウイスキーを部下にご馳
走しなければならない。
特に、毎年十二月に開かれるニューイヤーパーティーは壮絶を極め
る。
(なぜか知らないが、三年前から年明け前に催される事になった)
今年はとにかく騒々しかった。
十二月と言えば日本では冬であるが、タイでは乾季で朝は冷え込
むが昼間は30度程度で、過ごしやすい。
(何セ4月は、45度にもなる。)
この時期を利用し、パーティーは会社のサッカー場を利用して
屋外で行う。
始まりは、昼過ぎの二時から夜の九時。
乾季で涼しいとはいえ、昼の二時のサッカー場は炎天下。
この七時間に,スタッフやオペレーターのダンスや,美人コンテスト,
コントなどが繰り広げられる。
またその年赴任してきた日本人による、お釜に扮したダンスも
強行される。
目玉はトリで、タイの超大物歌手を呼んでコンサート。
(日本でなら浜崎あゆみクラスの大物を、会社のパーティーに呼ぶ
のである。)
よって3,500人の従業員はほとんど集まる。
日本人はたったの35人。
日本人一人に対し、タイ人百人の割合で彼らの襲撃を受けたら、
一瞬の内に蒸発してしまう程、わずかな人数なのである。。。。
B.モッゲオ!ネーチャンと工場長
あれは忘れもしない、2002年12月21日。
当日、香港→中国→シンガポール→インドネシアと出張を終え、
疲れきった体を引きずりながら、私はニューイヤー パーティーに
参加 したので した。
かわいい課員のためにグランツ(スコッチ・ウィスキー)5本を購入し、
炎天下のサッカー場へ向かい、昼からタイ人と飲むのであります。
昼間は皆さんそれなりに、グループだけで盛り上がっているのです
が、夕方を過ぎて涼しくなってくるころに、出し物が素人芸からプロ
の演奏に変っていきロックのリズムに乗りながら、酔いは最高潮にな
ってきます。
そうなると目上を尊敬するタイ人とは言え、酔いに任せた彼らは、
目の前の輩と、一気飲みをしなければ気がすまなくなってくるので
す。
五年の経験をもつ私は、タイ人のテーブルに突入し、彼らにカッパラ
ワレないようにグランツ一本を絶えず握り締め、パーティーを楽しん
でいました。
しかし私の上司である工場長(47歳)は、丸腰のまま、タイ人達に
捕まってしまったのであります。
彼は赴任二年目でまだ、このパーティーの怖さを完全に理解してい
ません。
彼女は私の部下で、年は26で子供ひとり、ちょっと小柄でセクシー
な顔立ちの女性(名前はラッタナ)につかまってしまったのです。
彼女は既にタイの地酒、(米を発酵させた酸っぱくて強力な一品)を
しこたま飲み、既に目は座っています。
工場長を見つけるや否や、ワンショットグラスに、その地酒を並々と
注ぎ、
”モッ ゲーオ!”
と叫んで工場長に勧めるのです。
イッキ!
これをタイでは、”モッ ゲオ”と言います。
”ゲオ”(=サカズキ)で 、”モッ”=(無い,あるいは空(=カラ)にする)
と訳されいわゆる”サカズキを空にせよ!=イッキ”と言う意味です。
工場長は最初拒んでおりましたが、彼女が先にそのグラスを空け、
返杯とばかりに差し出すもんですから、断るわけには行きません。
回りには彼管轄の部下が、周りに何百人もいるのです。
それを断れば今後の指揮や、工場長の評判に関わってきます。
彼は死ぬ気で飲み干しました。
しかし,彼女はそこからが本領発揮です。
”イッキのみ”の勝負に出たのでした。
”モッ ゲーオ!”
”モッ ゲーオ!”
と甲高い声で繰り返しながら工場長に挑むのです。
工場長の顔が苦渋に歪んでいます。
そこで私は助け舟を出しました。
”ラッタナ!俺とモッゲオやってみっか!?”
彼女の目は鈍くひかり、”モッ ゲェーオ!”
と叫びながら私に向かってきたのです。
サスガに、ロブロイで鍛えた肝臓です。
5〜6杯カールク空けてやりました。
すると彼女は、コイツとやりあったのでは自分も撃沈すると悟ったよう
で、私への攻撃を止め,辺りを見回し出します。
そうです。
彼女は私との勝負で麻痺した脳みそで、先ほどの標的=工場長
を捕捉しようとしていたのです。
工場長はこのタイミングを見計らって難を逃れ、ダンス(昔でいう
ゴーゴー)に興じていたのですが、彼女の近くで踊っていたのが運の
尽きでした。
彼女は即座に地酒のビンとグラスを抱えて工場長に駆け寄っていき
ます。
背後から ”モッ ゲェェーーオッ!”
と叫び、工場長は飛びのきます。
しかし工場長は自分の脇に、ラッタナの頭を背面から突っ込まれ、
且つ腕を掴まれて逃げられません。
そして工場長は、蛇に睨まれたカエル状態で差し出すグラスを、
夢遊病者のように飲み干したのでした。
私は異様な酔いが回ってくるのを感じながら、その光景を眺めてい
たのです。
ラッタナはこれで満足したのか、次に工場長をテーブルに連れ戻し
記念写真を取るよう、皆に招集かけています。
最後に、もう一杯地酒をなみなみと注ぎ、私を含めて10人ほどの
”モッ ゲ-オ呼称”集合写真を取ったのです。
もちろん工場長も杯を掲げ、オタケビを上げていました。
(証拠写真は残っています。)
そして工場長は。。。。。。
ここにいては命に関わると思ったのか、50m先の別のテーブルに向
かってフラフラと消えて行き、たどり着くや否や、意識を失ってしまった
のでした。。。
C.地獄の酒盛り
このような錯乱状態に陥る輩はラッタナだけではありません。
いたるところで起っているのです。
タイのオペレーターさんは、遠くから出稼ぎにきており、ひとつの
アパートで何人かが同居します。
そうなると、ゲイやらレズちゃんなんかが頻繁に発生してしまい、
同姓どうしの三角関係で、大喧嘩を会場のあちこちでやっていま
す。
また、へべれけのネーチャンが日本人を拉致しようと、無理やり
暗がりに連れ込もうとしていることも日常茶飯事です。
ハードロックの騒音の中,,ケンカ、嬌声、拉致、踊り狂う見慣れた顔
のタイ人、日本人。そして次々に人が倒れていく。。。。。
いかにロブロイでの酒盛りがハードと言われても、このタイの酒盛りに
かなうものはない。
これがタイでの地獄の酒盛りなのです。
早く日本に帰りたい。。。。。。。
肝臓に自信があるのであれば,是非履歴書を送ってください。
私の後任として現地採用間違い無しです。