邪馬台国探索行
最近では、邪馬台国を語るに、考古学者のなかでは「九州説」「畿内説」の論争は無く、既に「畿内説」で決着が着いた感がある。しかしながら。「黒塚古墳」から34面の三角縁神獣鏡が発見されたとしても、それが魏で製作された鏡であると証明された訳でもなく、また「勝山古墳」「ホケノ山古墳」の築造時期が3世紀前半から中期であったとしても、それが卑弥呼と同時代の墓であるらしいと推測できるが、邪馬台国の首長たちの墓であったと証明されたものでもないのです。
あえて、素人の私は、魏志倭人伝(三国志魏書東夷伝倭人の条)に従って、邪馬台国を探していこうと思います。
T 倭の諸国と道程
1 倭人
倭人の国は、帯方郡(現在のソウル)から見て東南方向に在って、大海の中の山の多い島国である。
旧は百余国在った。漢の時代には、朝見する者もいた。現在では、三十国である。
2 狗邪韓国
帯方郡から倭国に至るには、海岸沿いに船で行き、韓国(馬韓、弁韓)の国々を通り過ぎ、倭国の最北端にあたる狗邪韓国(金海)に到るには、七千余里の距離がある。
3 対馬国
帯方郡を出て、はじめて大海を渡るため、巨済島(私は、郡使は実際に金海には行ってなく、倭国に行くに最も近い巨済島から海を渡ったものと考えています。)を出航して、千余里したら対馬国に着く。その国の大官は、卑狗(日子)といい、次官は、卑奴母離(火の守)という。対馬国は、海中の島国で、その面積は方四百余里である。山は険しく、森林が多く、道は獣道のようである。千余戸の人家があるが、良田が無く、海産物を食べ生活している。船で韓国の国々(主に金海地方)や北九州の国々と交易し穀物を得ている。
4 一支国
それから、また、南に向かって海を渡り千余里すると一大国(壱岐)到着する。この国の大官も卑狗(日子)とであり、次官も卑奴母離(火の守)という。その面積は方三百余里である。竹林とヤブが多く、三千ばかりの人家がある。ここには、少し田地があるが、田を耕しても民の食糧には足らず、やはり韓の国々や北九州の国々と交易して暮らしている。
5 末盧国
また、海を渡って千余里すれば末盧国(呼子)に着く。末盧国には四千余戸がある。山と海の狭間にある国であり、草木が生い茂っていて前を歩く人も見えないくらいである。その民は、海に潜って魚介類を採っている。
6 伊都国
末盧国から陸路を東南方向に五百里行くと伊都国(前原市付近)に着く。官を爾支と曰い、次官を泄謨觚・柄渠觚と曰う。伊都国は千余戸の人家があり、古には国王がいたものの現在では女王国に属している。過去には、郡使が常に訪れていたらしい。(伊都国が終着点)
7 奴国
伊都国から東南方向にある奴国(那珂川流域)には百里で到着する。官を@馬觚と曰い、次官は卑奴母離と曰う。人家は二万余戸である。
8 不弥国
また、伊都国から東方向にある不弥国(宇美)には百里で着く。官は多模と曰い、次官は卑奴母離と曰う。 人家は千余戸である。
9 投馬国
帯方郡から南に海岸沿いに船で行くと、投馬国(西都原)に着く。官を弥弥と曰い、次官を弥弥那利と曰う人家が五万戸ばかりある。
10 邪馬台国
また、帯方郡から南に船で十日、そして陸路一ヶ月で女王の都、邪馬台国(甘木、三輪地方)に着く。
官を伊支馬と曰い、次官を順に弥馬升、弥馬獲支、奴佳Aと曰う。人家は七万余戸ばかりある。
11 女王国以北
以上に挙げた女王国より北の国々は、其の戸数・道里を略載することができたが、其の余の旁国は、遠く隔たりがあり、その詳細は、わからない。
斯馬国、已百支国、伊邪国、都支国、弥奴国、好古都国、不呼国、姐奴国、対蘇国、蘇奴国、呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、為吾国、鬼奴国、邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、鳥奴国、奴国がある。
これらの国々が女王国に属している。
其の南に狗奴国(菊地郡)があって、男子を王としている。其の官を狗古智卑狗と曰う。この国は、女王国には属していない。
郡より女王国に至るまで万二千里である。
U 倭の風俗
12 黥面・分身
男子は、大人、子供の区別無く皆顔や体に入れ墨をしている。
古来より、倭国の使節は中国にいたる時、自らを大夫と称している。
夏后少康の子が会稽に封ぜられた時、断髪分身して、以て蛟龍の害を避けた。(入れ墨をする理由を同じものと類推している)
今、倭の水人、好んで沈没して魚蛤を捕らえ、分身して亦た以て飾りと為す。諸国の分身は各々異な り、或いは左にし、或いは右にし、或いは大にし、或いは小にして、尊卑に差あり。
13 会稽東冶の東
其の道里を計るに、当に会稽(浙江・江蘇省地域)の東冶の東に在る。
14 風俗・衣髪・織物
其の風俗、淫ならず。男子は、皆露B(冠をかぶらず髻のまま)し、木綿を以て頭に招け、其の衣は横幅、但結束して相連ね、略縫うこと無し。婦人は被髪・屈B(垂髪・結髪)し、衣を作ること単被の如く、其の中央を穿ち、頭を貫きて之を衣る。禾稲(いね)・紵麻(からむし)・を植え、蚕桑(養蚕)・J績(紡績)し、細紵(細いからむしの布)・CK(絹織物と綿織物)を出だす。
19 不在の鳥獣
其の地には牛・馬・虎・羊・鵲無し。
20 兵器
兵(器)には矛・楯・木弓を用いる。木の弓は下を短く上を長くし、竹の箭は或いは鉄鏃、或いは骨鏃なり。
21 海南島との類似
有無する所、L耳・朱崖と同じ。
22 居所・飲食・化粧
倭の地は温暖、冬夏生菜を食し、皆徒跣(はだし)である。屋室有り、父母・兄弟、臥息(寝所)処を異にす。朱丹を以て其の身体に塗ること、中国の粉を用いるが如くである。食飲にはM豆を用いて手食をしている。