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林 茂雄





ジョン・レノンと一日

 今年の10月9日は、生きていれば70歳になる人の誕生日だった。そしてまもなく訪れる12月8日は歿後30年の節目になる。その人の名はジョン・レノン。ジョンはデヴィッド・ボウイと共に僕の10代後半のヒーローだった。
といっても僕がジョンを聴き始めた時には、もうこの世にはいなかった。でも一番の友達のような存在として、いつもジョンはとても近くにいた気がしていた。僕が特に好きだったのは、「ストロベリーフィールズ・フォーエバー」と「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」で、一日に十数回立て続けに聴いたりしたこともあったなあ。
そんなわけで高校生だった僕はパブでアルバイトをして、そこで得た金でギターとキーボードを買った。不器用で楽譜も読めなかったくせに、ハミングでメロディーを作り、それに合わせて歌詞を書き、ギターとキーボードの音を乗せて、曲を作ったりしていた(それを「曲」といえるとしての話だけど)。
その頃「悩める青年」だった僕は、心の中で渦巻くものを外に向けて表現することを欲していたので、時々詩も書いていた。でもいつも同じ限界、同じ壁にぶち当たっていたのだった。「言葉って何だろう?」――そのフレーズが頭に浮かぶと、書いていた言葉はそこで途切れてしまい、思考はフリーズしてしまうのだった。
言葉は僕を翻弄していた。言葉を操ろうとして、言葉にいつも操られてしまっていた。深く思考しようとする度に、言葉の罠にいつもはまっていたってわけだった。その点、音楽は僕に表現する自由を与えてくれるように感じられた。だから詩を書くより曲を作ることのほうに夢中になっていった。
あの頃は音楽さえあればトリップできた。おぼえたての煙草やアルコール(時効成立)より、ジョンの音楽は僕をイカせてくれた。当時の僕はまだSEXを知らなかったから、音楽以上にサイコーに夢中になれるものなんてなかった。
ジョンはミミ叔母さんに育てられた。父親は不在だったし、やがて行方不明になった。母親ジュリアはジョンが17歳の時に亡くなった。ジョンにとって母の死はとても大きな出来事だったんだと思う。『マザー』という曲の悲痛なメロディーと歌詞でそれがわかるし、息子の名前にジュリアンと名づけたのも、おそらくは亡き母を偲んでのことじゃないだろうか。
大切なものの不在、欠如。そして、希求。あるいは、喪失感に対するやるせない怒りにも似た狂おしい感情…。ジョンの作品にはそんなモチーフが時折感じられる。僕達の人生を支えている大きな土台が突如消え失せてしまうのに、人生のたった一日さえあれば十分なのだ。
ジョンが自宅のダコタハウスの前で、ファンを名乗る男の凶弾によって倒れたのも、人生のある一日――ア・デイ・イン・ザ・ライフ――のことだった。I'd like to turn you on...

A Day In The Life
http://www.youtube.com/watch?v=XWjVffR5EdM

Strawberry Fields Forever
http://www.youtube.com/watch?v=M9s1I1TZqJg




ジョン・レノン(John Lennon)/生年1940年、没年1980年。享年40歳。
代表作『ストロベリーフィールズ・フォーエバー』『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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