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林 茂雄





ボリス・ヴィアンと睡蓮

 世界のなかで最も清らかで美しい死について話そう。でもその前にまずは食べ物の話。炒飯と蓮根について。天ぷらにした蓮根は好物だ。肉のはさみ揚げにすればさらに旨い。蓮根は文字通り「蓮の根」である。炒飯も大好物で、三度の飯すべてがそれでもOK。炒飯に使う匙の蓮華は「蓮の花」に似ていることからその名がある。ここで食べ物から植物の話に移っていこう。蓮華はインドの国花である。沼などの湿地に咲くが、汚い泥に染まらず清らかで美しい蓮華は、その清浄な姿を仏などに例えられており、仏教ではシンボル的イメージとしてよく使われる。
 こうして植物の話から仏教の話に移っていけば、そろそろ死の話に入っていけそうな雰囲気になるけれど、実は蓮ではなく睡蓮の話をしたかったのだ。よく似ているが、学術的に科目は分けられている。蓮は英語でlotusだが、睡蓮はwater lilyと呼ばれる。「水の百合」という意味だ。lilyという言葉は形容詞としても使われる。「繊細で美しい」「純粋な」という意味や「もろい」という意味がある。睡蓮をモチーフに描いた美術作品には印象派クロード・モネの連作が有名で、国立西洋美術館に所蔵がある。また、静岡県の浜名湖ガーデンパークにも、モネが描いた庭を模した池が造られている。そして、睡蓮が最も印象的に語られている文学作品といえば、ボリス・ヴィアンの『日々の泡(うたかたの日々)』をおいてほかにないだろう。
 
 さて、これでようやく本題に入れる。金持ちで優雅に暮らす青年コランは、美しく繊細なクロエと出会うべくして出会い、やがて二人は結ばれる。腕のいいコックにご馳走を作ってもらい、友人たちと楽しく日々を過ごし、何不自由ない幸せな生活が続くかに見えたけれど、クロエは肺に睡蓮が育つという奇病にかかってしまい、事態は徐々に確実に悪化していく。彼女の奇病の進行を食い止めるためには、部屋中をいつも花で飾らなければいけない。コランの豊かだった財産もそのためにだんだん乏しくなっていき、仕事を見つけなければならなくなる。彼の仕事は、事務所からリストをもらい、身内に不幸がある一日前に人々にそれを知らせに行くというものだった。彼はリストに自分の名前を見つけてクロエが死んでしまうことを知る・・・
 これが、レーモン・クノーに「現代の恋愛小説の中で最も悲痛な作品」と評された、ヴィアン『日々の泡(L'Ecume des Jours)』のストーリーである。とはいっても、この小説は悲痛であるばかりじゃなく、ユーモラスであり、スタイリッシュでもある。コランの食堂兼リビングのテーブルには、生まれたての二匹のヒヨコがニジンスキーの『薔薇の精』の真似をしているホルマリン浸けの瓶が置かれている。アペリチフは、音符ひとつひとつにさまざまなアルコールやリキュールや香料などを対応させてあるカクテルピアノで作られる。型破りな描写も現実とはかけ離れた出来事も、この物語の中では美しいハーモニーを奏でるばかりだ。
 魅力的なオブジェのオンパレードとともに地口や冗句にも事欠かない。ひとつ例を挙げれば、ジャン=ポール・サルトルはジャン=ソオル・パルトルとなって登場し、サルトルの主著『存在と無(レートル・エ・ル・ネアン)』は、『文字とネオン(ラ・レットル・エ・ル・ネオン)』になっている。コランの友人シックはバルトルの本の度の過ぎたコレクターで、シックの恋人は「心臓抜き」という道具でバルトルを殺すことになる。

 ヴィアンは序文でこう述べている。「二つのことがあるだけだ。それは、きれいな女の子との恋愛だ。それとニューオーリンズかデューク・エリントンの音楽だ。その他のものはみんな消えちまえばいい。なぜって、その他のものはみんな醜いから。」
 ヴィアンは生前は小説家としてよりジャズのトランペット奏者として(あるいは作詞家や歌手として)知られていた。彼は多彩で、ヴァーノン・サリヴァンという筆名でハードボイルドスリラーも書けば、戯曲や詩も書き、翻訳もした。ヴィアンは39歳の若さで息を引き取った。心臓発作による唐突な死だった。サルトルに「心臓抜き」のお返しをされたわけでもないのに。今年2009年はヴィアン没後50年にあたる。




ボリス・ヴィアン(Boris Vian)/生年1920年、没年1959年。享年39歳。
代表作『日々の泡』『心臓抜き』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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