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Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

還暦におもう

1950年、昭和25年生まれの僕は今月、2010年7月で目出度くちょうど60歳「還暦」となってしまった。

本卦還り(ほんけがえり)ともいうらしく、生まれたときに帰る、という意味らしい。 ほんとに生まれたときに帰れるわけではないので、ようするに第二の人生の始まり、という事なのであろう。
成人式なども含め、ある種の「区切り」として在ったほうが何かにつけて「便利」なのではないかと思う。

西洋では結婚60周年を「ダイヤモンド婚式」といって盛大に祝うらしい。
がこれについては日本においても結婚7年目を「銅婚式」・25年目「銀婚式」・50年目「金婚式」などとあるが、実際のところ「銅婚式」など、人の口から聞いた事はない。
しかしここまではまだ良いとしよう。
実はもっと細かく「真珠婚式」「ルビー」「サファイヤ婚式」と、まだまだ細かく分かれているのだそうである。
たとえば「父の日」はネクタイのメーカーによって創られた、といううわさだが(ぼくも信じている)いわば「ネクタイを送ろう日」を創ったという事になるが、各ジュエリー婚式なども、同じように宝石商によって???などと無粋な事を考えてしまうのは僕だけではないだろう・・・。

さて素直になって還暦にもどろう。
故郷である鹿児島から大阪へ出て4〜5年、四国へ渡りまた4〜5年、そして縁があり金沢で30年とちょい、そして60歳となってしまった。
先に記したように「ひとつの区切り」「第二の人生」の始まりだとすれば、60歳は「第一の人生」の到達点、何かの結果、何かを成されていなければならない、という事になる。 が、今の我をみる限りはなはだ不安である。

二年前の6月我が家の前に生後間もない(おそらく一ヶ月くらい)の子猫を捨ててあった。 雄のキジトラであるが、先月で丸二年「二歳」もはやすっかり我が家の一員となっている。
人間の歳でいくと二十歳すぎ、という事になるのだろうが、しかしである。
人の目を見ながら「ニャ〜ン」と言いながら(鳴きながら)何かを訴える、もしくは何かをねだっている。
これは分かる。
ところがある時など目をジーッと見つめる。そらさない。
鳴きもしないし、何かの要求でもなさそうである。
何やら諭されているような気もしないでもない。
またある時などキャット・タワーよりガラス窓を通し、外を眺めている。
もちろん外の色々な「うごめき」を追っている事が多いのであるが、時に一点の「空」を眺めているのである。
どこを見ているのだろうと近づいても、その視線より目を逸らさない。
何やら吟遊詩人の目、もしくは哲学者が思索しているようにも見えるのである。
人の歳では二十歳すぎとはいえ、まだ二歳なのだが・・・。

さて猫にも劣っているような風のぼく、60男であるが、よくよく考えてみると、80代、90代の元気なお爺ちゃん、お婆ちゃん達が沢山おられる。
その先達からするとまだまだ子供、今から20年、30年、いやそれ以上生きるかもしれない。
とすると今からそれなりの「顔」になればいいではないか、と思うが、やっぱり言い訳かなあ〜。

第二の人生、まずは早く猫に追いつかねば、と思うのでありました。

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