先日大阪に住む、歳は一回り違いの兄より電話があった。
まあ月並みに「変わりないかー、こっちも特に変わりないぞー」「世間きびしいなあー、そっちもだめかー・・・」「最近我が家にネコおるわー」
とまあ、切実でありながらもそれなりに平和なような会話がしばらく続き、さてそれだけの特に用事のない“便り”かと思ったが一応あった。
「『田舎へ泊まろう』というテレビ番組知ってるかー」という。
そして「今度、漆(うるし)らしいでー」。漆とは我が生まれ育った故郷のことである。
正確には鹿児島は姶良郡蒲生町の漆のことであるが、まあ過疎を代表するようなところである。
鹿児島というと半島が二つある。
が我が姶良郡はどちらでもなく、ちょうど県の中央に位置する。ということは山の中ということになる。当然田舎だ。
その漆地区から10キロほど下ると蒲生の町がある。そこにひとつだけ日本一のものがある。それが蒲生の大楠(くすの木)である。
これは間違いなく日本一のようだ。それは八幡神社の境内にある。
高さ30メートル、幹周り24メートル、樹齢は推定1500年だそうである。
足元には迫力のある根が何本も出ており、その根周り33メートルもあり何やら不気味さも漂っている。
青々と茂っている割りに根元は空洞になっており、その空洞の広さが畳10畳ほどある事を考えればいかに大きいか想像出来るのではないかと思う。
ちょうど空洞へ入れる穴が開いており、昔は自由に入れた。中はうねうねと根が絡みつき、ますます不気味さを通り越し、何やら妖気を感じるほどである。
いつからか国の「特別天然記念物」に指定されたせいか、周りは囲われ、その入り口は柵のような、ドアのような物でしっかりふさがれている。
「蒲生の大楠」で検索するとその勇姿がしっかり観れるので、是非一度ご覧頂きたいと思う。
さて漆地区はどうかというと何もない。重ねて何もない。
以前何かのおり、何回か古里時代のことは書いた。
今我が家にはネコ一匹しか居ないが、田舎の頃はネコ、犬はもちろん、ウサギに始まり、ニワトリ、豚、牛、ヤギ、羊などと共に暮らしていた。
屋根裏にはネズミ、ムカデ。寝ていると大きな瓦ヘビが顔に落ちてきた事は以前書いた。
僕の世代は団塊の世代という事になり、もっとも人口が多かったのではないかと思う。
といっても全人口約1000人、小学校300人、中学校150人位ではなかったかと記憶している。
それがもはやとうの昔に中学は廃止され、小学校は全校で10人前後となり、当然複式学級という、なんとも寂しい状況である。
それも「やまびこ留学」とかいって他所から児童を募集している状態である。限界集落と呼ばれるのも、そう遠くないだろう。
そんな「田舎」であるから当然「田舎へ泊まろう」に取り上げられるには十分資格があるというもんである。
これを喜んでいいのか、ちょっと複雑な気もしないではないが、まったく無視されるよりは素直に喜ぶべしとしよう。
兄の電話によると、関西の方はもう放映されたようだ。
が、それから二週間経ったがこっちはまだのようである。
ある程度地方は幾分遅れて放映される、とは思っているが意外に長い。
先週の放映ではたまたまお隣の宮崎であった。だんだん近づいている、という発想でいいのだろうか?。
いずれにしろ田舎を出てから一回しか帰っていない。歳老いた親を兄が大阪へ呼んだ事もあるが、いずれにしろ我が古里を40年近く見ていない。
学校の運動場のほぼ真ん中に一本、まるで守り神のようにあった銀杏の大木は今でも校舎や児童を見守っているようである。
40年の開き、といっても変わったというより、田舎が、より田舎になっただけのことだろう。
「田舎へ泊まろう」。
今の僕の古里を見れる・・・。素直に喜び、楽しみにしている。