飲ん兵衛はかくありたい、のようなお話です。
酒など好きなものを、好きなように飲めばよい。
呑み方などにイチイチこだわる必要は無いという人もいる。
また酒に限らず、何をやるにも、とにかくこだわり、あらゆる説や習慣を探り、自分なりに納得しないと落ち着かない、という人もいる。
たまにであるが、ちょっと度が過ぎる人もいる。
その人なりのこだわりと独断になるわけであるが、酔ってくるとある種の偏見?を人に押し付けるのが生き甲斐のような人もいる。
酔った勢いで、自分の知識や考え方を後輩やバーテンダーに押し売りするのは、出来たらイヌやネコのほうが無難である。・・・嫌われなくてすむ。
先日来たスウェーデン人の話である。
「日本人は羨ましい」と言っていた。
日本人は酒を飲み酔っ払った時、それを隠そうという努力をしない。
声が大きくなり、からみ酒はからみ、泣き上戸は泣き、威張りやは威張る、ということである。
スウェーデンの男たちも、飲むからには大いに飲めるところを見せなければならず、強いアクアビットをこれ見よがしにあおる。
しかし酔ったところを人に見せる事は許されない。
酔ってだらしない姿を見せたら最後「あいつはダメな男」というレッテルを貼られる。
・・・う〜ん、実に厳しい国だ。
だからスウェーデン人が酔った時には極限に達した時で、カウンターにがっくり首をたれた時にはもう意識も定かでないくらい酔っている。
しかしなお、声ひとつ高めることなく、静かにその場を退場しなければならない。
・・・ますます厳しい国だ。
だからスウェーデンにはアル中が多い。
日本のように飲み始める前から酔っ払って発散しているような国なら、アル中などなるまい、居ない、ということである。
・・・なるほど。
これで思い出したのがたまに来るあるアメリカ人の言葉である。
「日本で酔いつぶれ、勢い警官にぶつかってもピストルで撃ち殺されたりしない、実に酔っ払いに対して寛大な国だ」と言っていた。
もっとも寛大な分だけ“飲み代が高い”とも言っていたが。
・・・納得。
日本の酒飲みたる者、その寛大さに甘えてはいけないとも思うが、そこまで全てに飲ん兵衛に対して厳しいのか、という若干の疑問も感じる。
が、ともかくスウェーデンでは酔っ払いは人間失格となり、アメリカでは撃ち殺される、という事になる。
我、日本の酔っ払いとして、おごること無く、日本で静かに、かつ多いに飲もう。
ところで、日本で言うところの“はしご酒“(どんどん上り詰めていく)の事を、アメリカでは“バー・ホッピング”(跳ねるようにして次のBARへ)イギリスでは“バー・クローリング”(這いずりながら次の・・・)という事だが、何となく“お国柄”を表しているような気もしないでもない。
で、スウェーデンではなんと言うのか興味のあるところだが、残念ながら聞きそびれてしまった。