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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

退院して思うこと

前回に引き続き昔話になる。

二十代の後半というと店をやり始めの頃、という事になるのだが、今にしてみると我ながらよく飲んだもんだと思っている。 その頃は朝五時まで営業という事もあり、六時や七時まで飲み続ける。 それから24時間営業の喫茶店(今ならマンガ喫茶というところか)で仕上げのビールを飲む、という生活が何年間か続いた。 次の日、というよりその日という事になるのだが、夕方まで限りなく寝ていられるというこの仕事のいいかげんさと、若さゆえできる事ではある。

そんな生活を毎日繰り返しても、結果睡眠時間がたっぷりあるせいか、二日酔いなどした事がない。 さあ明日は休みだ、となると24時間営業の店で昼ごろまで飲んでいる。 それから帰って寝るわけであるが、目が覚めると夜中の11時、12時になっている。 そんな時間から何をするといってもある筈がない。我ながら何という生活を送っているんだ、と思いながらまた飲みに行く。 結果的に休みの日と、店をやっている時の区別がまったくない。実に情けない日々を過ごしていたものである。

しかしそれも30迄の事である。なぜなら30の誕生日を過ぎた途端、天の声「明日からすぐ入院しなさい・・・」 りっぱな胃潰瘍だそうである。それも稼ぎ時の12月に入ってすぐの事である。

宣告があった前日、仲間内で忘年会と称し金沢近郊の温泉で飲んでいた。 ツマミに出たサザエのつぼ焼き、はしゃぎ過ぎ、サザエの殻まで食べた。たぶん胃潰瘍はそのせいだと思っている。 (のん兵衛はけっして酒のせいにはしない) とりあえず、飲食業で一番忙しいとされるのが12月から明けて成人式まで。 僕が退院したのが1月15日、とうまく出来ているものである。

しかしそう悪い事ばかりでもない。入院する前何回か飲みに来てくれた女性、病院にもチョコチョコと一人で見舞いに来てくれた。 それから過ぎること20数年、にんげん懲りないものである。 また天の声「食道に腫瘍があります・・・」ガーーンである。昨年の事である。 入院期間約三ヶ月、その女性は毎日見舞いに来てくれた。

退院してふと思ったのであるが、これまで入院するしないにかかわらず、ずっと見舞ってもらっていた様な気がする。
わが妻よ、これからもたのむ。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。