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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

おやじの酒

久しぶりに酒の話をしてみよう。

酒というと平成7年に88歳でこの世とおさらばしたオヤジを思い出す。
とにかく酒が好きだった。
生粋の薩摩男のこと、芋焼酎いっぽんやりである。
それもさつま白波ではなくその名も「薩摩」という銘柄があり、ほとんどそれしか飲まなかった。
たまたま僕は飲み屋をやっている。
たまに帰った時にちょっといいスコッチやバーボンを手土産に持って帰ったとしよう。
もともと酒を何かで“割る”という発想など無いおやじ、ウィスキーでもいつも愛用のグラス(といってもグラスに“アサヒビール”と印刷してあったが)それにウィスキーをドボドボッと垂らし込み、グビグビッと飲る。
「うん、うんまか酒じゃなあ〜」と言いながら喜んで飲んでくれるのであるが、ある程度酔ってくると「やっぱこれ(焼酎)でないと酒を飲んだ気がせん・・」といっていつものやつをグラスに一升瓶からドクドクドクッと入れ、旨そうに口にもっていく。

僕はそいじゃあ、ということであの「森伊蔵」とか「百年の孤独」とかちょっといい焼酎も持っていった事もあるが、やっぱり美味い美味いといいながらも「〆はこれじゃなあ〜」といつもの一升瓶に手をのばす。
そしてほんとに美味そうに飲むのである。
さすがに晩年の頃になると、昨今のお湯割りブームを知ったのか湯を足していたが、それがまたすごい。
いつものグラスに八分目がた焼酎を入れると、残りにお湯をなみなみと注ぐのだが・・・比率が逆だ。
世間はこれをお湯割りとは言わないだろう。
その事をいってみると、ただ一言「そんなもの飲めるか」であった。
ともかく間違いなく飲み助であったが、しかし飲めば飲むほど機嫌の良くなる酒であったので「飲むオヤジ」が好きだった。
結果的に「いい酒の飲りかた」をオヤジに教わった事になる。

そのオヤジの葬式の事になる。
鹿児島の風習なのか、宗派によるのか分からないが、いよいよ最後の別れになると、ある種の「死に水」となるのか、列席者全員榊(さかき)を持ち水に浸し棺桶のなか(オヤジの体へ)バシャバシャッと振りかけるのであるが、オヤジの時は「水じゃあオヤジも喜ばないだろう」ということでその愛用の焼酎を全員で振りかけた。
しかし一升瓶は半分ほどまだ残っている。
「この世に未練を残してはいけない」という事で体に残りをザブザブッとかけた訳であるが、見ると全身びしょ濡れであった。
なんせアルコール、さぞかし良く燃えた事であろうとは皆の一致した意見であった。

これを書く数日前の事になる。
久しぶりに「アルマニャック」のブランデーを仕入れた。
ご存じない方のために簡単に記すと、ブランデーの本場フランスではコニャック地方のブランデーがあり、次にアルマニャック地方のブランデー、そしてノルマンディー地方のカルバドス・ブランデーがあり、コニャックとアルマニャックは葡萄が原料であるがカルバドスはリンゴである。
ちなみに日本のニッカのブランデーもリンゴである。(一部葡萄もあるが)

数日前のその日、店は早い時間に数人来ただけで後誰も来ない。
久しぶりにアルマニャックを試飲してみると、なかなかいける。
そこでカクテルであるが、ブランデーベースとなるとまずはサイドカーになる。
ブランデーにキュラソーというリキュールとレモンを使う。
一説によるとあのナポレオンが馬車で追われている時、気つけにブランデーにたまたまあったレモンを振りかけて呑んだ、という事からその名が付いたらしいが、まあ定かではない。
ナポレオンというとあの有名な馬に乗った勇壮な絵があるが、本当に乗っていたのは馬ではなく、ロバだった事をご存じだろうか。

話を戻そう。
そのカクテルはサイドカーであるが、アルマニャックは他に数種類おいてあり、当然コニャックもカルバドスもある。
先ずはアルマニャックで一杯作り飲み干す。
次はカルバドスで作り、飲んでみる。
コニャックでも作ってみる。
また別なアルマニャックでも作ってみる。
もちろんその都度飲み干す。
またまたコニャックも、とまあ結構な杯数になった。
ウイスキーでもブランデーでも、そのものを試飲しようとすると別に正味シングルのグラス一杯つがなくても良いが、カクテルの場合そのレシピ通りに作らないと試飲にならない。
アルコール換算として一杯が約ダブルとなる。
サイドカーを五杯も飲むとブランデーのボトル半分くらいに相当する。

相変わらずお客さんは来ない。
結局何杯飲んだのか・・・結構酔ってきた。
結局最後までお客さんは来ず、看板の日を消し、帰り支度しながらそろそろ<主のひとり事>を書かなければ、と思いながら“うん?酔っ払い”・・・久しぶりにオヤジの顔が目に浮かんだ。
今回はオヤジの酒を書こう、と思ったのである。

<主のひとり言>  毎・月半ば更新いたします。