杉浦 良夫
○ 取材対象の心得
最近、ネットでの相手への中傷や殺人予告など顔の見えない人からの書き込みで、時にニュースなどになったりする。
しかし、私の仕事は、テレビで番組という形で、時に実名や姿までもが映し出され、逃げ場の無い、また全責任を追う形になって出てしまう。
現在、私は東京のテレビ局の夕方のニュースの特集を担当するディレクターです。
そのテレビ局で今から8年前、あることが原因でその局を去ることになりました。
それは、あまりにもハードな取材(ロシアマフィア)や暴走族・渋谷の家出少女など、取材先に深く切り込まなければならない仕事。
放送後は、よく脅かしの電話や様々な嫌がらせを受けました。それは、番組で堂々と私は、顔出しをし、取材していたからです。
それと言うのも自分の取材の正当性と自信から来たものでした。
しかし、家族は私の取材方法に疑問を感じ、しばしば子どもを連れ、里帰りしていました。
まあ、それで私が折れ、また疲れ果て、そのテレビ局から去ることを決心しました。
しかしである、最近のネットでの中傷や犯罪予告などは、顔が見えないことから書き込み放題・やり放題である。
まあ、死のうと思うなら勝手に死ねばいいことで、ネットに死ぬ自分の告白なんて(顔が見えない)誰もどうでもいいことなのである。
せめて実名や顔写真を堂々と貼り付けてやれば、自分へのマスターベーションで終らずにすむのではないでしょうか。
色々あった事が年月で心も収まり、最近また、辞めたテレビ局の仕事をするようになりました。
そのテレビ局が8年前の取材したようなものを番組にしてはどうか、と提案され現在取材中だ。
今は、独り者になり、人生の足かせが無くなり取材しやすくなった。
取材前プロデューサーから、最近の取材は気をつけてください
“取材対象からこちらが悪くなくても、ネットやブログなどで難癖を色々つけてきて大変なことも…”である。
正当な取材をしていても、無記名という責任の無い暴力を取材者側が受けるのである。
私は、番組取材で渋谷の少女達の深夜徘徊の規制を呼びかけ、2年かけ、渋谷区の深夜徘徊の禁止条例の切っ掛けを作った。(自負)
これらは、私が取材を進める中の正義をいつも持ちつづけていたからである。
しかし、今は・・・。この夏、新たな困難を乗り越え取材に情熱を持ち、私なりの正義に向けて慢心する。
と、ここまでは、かっこいいのであるが、私の生活はむちゃくちゃ。
ブルースに良くある台詞“シー・イズ・ゴーン” “ジャスト・ライク・ウーマン”で生活が今でも不安定なのである。
現在の預金残高509円!!!
この静かな街・金沢に住んで2年半、金沢の良い所も悪いところも見てきた。
まあ、私が34年前、金沢を去ったことを最近、良く思い出す。
なんか打てば響くような街ではなく、何が言いたいのかやりたいのかハッキリしないところがある街・人が居るな、と言う感じだった。
若く多感な青年は、逃げるように都会を目指した。
そして、31年ぶりに金沢に帰ってきた私が直面したことは、モンスターメガメディアとの遭遇、巨大化した地方独占新聞社の存在だった。
新聞内容を見るとスクープ記事などは皆無で、ほとんどが広報記事ばかり、行政ベッタリ内容。
たまたま、その新聞社関係の仕事をしてきたが、やはりジャーナリストとしての意識は薄いという感じだ。
マスコミは、行政・政治家・企業の放漫さを突き詰め叩く、それが使命だと思う。
だが私も3年近く金沢に居ると“まあいいか”という言葉が頻繁に出るようになった。
それは、まずいと、この2月頃からまた、東京で仕事をするようになった。中央から地方を見る眼が少し戻ったように思う。
東京がすべて良いと言うことではない。でも私には、東京の友達の方が多くなっていた。
金沢での友達は少ないが、彼女は30歳と若く、心のよりどころを今見つけている。
51歳の中年ジジイの最後のあがきです!皆さん拝見ください!!