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Somekawa & vafirs

『ヒマラヤトレッキング追憶記 その2』

山本 氷山

さて、前回はどこまでお話ししましたでしょうか?

そうそう、エベレスト街道トレッキングに行く時に、友人の荷物にトラブルがあって搭乗が遅れ、最後部のキャビンアテンダント席の隣になったところまででしたね。

前方の席を陣取りビデオ撮影するつもりでいたので残念に思ったのですが、隣のCA女が阿弥陀如来に似た美人で、私に微笑みかけてくれたので、そんな思いはどこへやら、 なんとか話しかけてみようと思い片言の英語で話してみたのですが、理解してくれません。

この飛行機はYeti AirLineというYetiとは「雪男」という意味で、ネパールのローカル航空会社です。
ネパールの文字はインド語(ヒンディー語)と同じですが言葉は異なります。
しかし、挨拶語のナマステは同じです。
いずれにしても、英語は教養のかなり高い人にしか通用しないようです。

話を戻しますと、とにかく名前だけでもとの思いが通じ、彼女は「???」と言いました。
しかしネパール人の名前は日本人には聞き取るのが難しいのです。
ここでは「アミダ」さんとして置きます。
なんとかボディーランゲージも加えて話しているとアミダさんは外国のコインを集めているらしいことが分かりましたが、 あいにく日本の硬貨の持ち合わせがなかったので千円札をあげたらアミダさんは申し訳なさそうに受け取ってくれ、代わりにエベレストの写真集を差し出しました。
しかし、千円では悪いのでもう千円追加しました。
そんなことをしているうちにエベレスト街道の登山口のルクラ空港に着きました。
このときはアミダさんと後日再会するとは思いもよりませんでした。

ルクラ空港は標高2800mの山間にあり、滑走路が長く取れないため、滑走路に傾斜がついているのです。
通常はここから高度順応しながら4日間かけてトレックするところですが、私たちはヘリコプターで一気にシャンポチェ(3720m)まで上がります、 眼前に広がる6千メートル級の山々が迫りなんとも豪快でスリリングなフライトでありました。

シャンポチェから宮原さんの経営する「エベレスト・ビューホテル」まで標高差150mほどを歩きます。
急激な標高差のため高山病の危険があり、ガイドやポーター以外に救助用の馬がサポートしてくれています。
しかし、タムセルク(6623m)や金毘羅山の語源となった聖なる山、クンビラ山(5761m)を眺めてのトレッキングは息苦しさを忘れさせてくれました。
いずれにしても、この旅は世界の最高峰エベレスト(8848m)現地名でチョンモランマを「この目で見たい」という思いでここまで来たわけです。
ようやく、ホテルに着き、エベレストを拝もうと思ってテラスに出ると、なんと、雪が降ってきました。
あっという間に周りは雪化粧。
山々は雲に隠れたままです。
このまま見れずに帰ることになるのか不安に駆られましたが、アマダムラム(6812m)の頂に夕日が射し、明日に望みをつないでくれました。

このホテルは日本の山小屋とは全く違い、設備や食事もホテル並みなのです、日本人に合わせた食事や、広い部屋にはツインのベッドやバスルームもあります。
しかし、電気事情は厳しいので小さな温風器と湯たんぽが支給されます。
しかし、結構暖かいので、薄手の下着姿で就寝しました。
ところが、夜中に寒さで飛び起きてしまいました。
凍死するかと思うぐらい寒いのです(誇張ではありません)。
慌ててダウンの上下を着こみますが震えが止まりません。
心臓の鼓動も激しくなり血圧が200位になった感じです。
ベッドの中でじーっと耐えていると何とか落ち着いてきました。
そろそろ夜明けの時間、思い切って起きてカーテンを開けると、空には一点の雲もありません。
真黒な峰々が白みかけた空に稜線を描いていました。
8千メートル級の山々の中にエベレストはどれだ?どれだ?ビデオカメラのレンズを向ける手が迷う。
「それでなくあれだ!」の声。
カメラの液晶モニターに思い描いていた頂が朝日に照らされてきた。
まさに、エベレストビューのクーンブの谷であった。

エベレストの見える谷間

 
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