湯口哲也
2年前、縁あって「ロブロイストの日々」に「いつかロブロイへ」と銘打ったつたない文章を載せていただいてから、遂にこの日が来た。
そう、ロブロイのカウンターを目指して、2013年9月14日、名古屋から愛車を駆って金沢の地に立っていた。
さあ、いざ片町へ。
というには、午前十時は早すぎるので妻の案内のもと金沢の散策となった。
近江町市場にて特大のちらし寿司で腹ごしらえして、香林坊のホテルに車を止め、まずは、にしの茶屋街へ歩いて向かう事に。
「ロブロイへの道」の始まりである。
ちょうど、金沢の街は、KANAZAWA JAZZ STREETの開催中。
ビッグバンドの音を聞きながら、犀川の橋を渡り、にしの茶屋街を散策、その後、拝観予約をしておいた妙立寺へ。
でも、何だかこれでは観光コースではないか。
風情はあるし、時折、ジャズの音色を聞きながら趣味のカメラ片手にのんびり歩き。
天気は申し分なし、金沢の街を満喫。
最高である。
しかし、このまま、ロブロイへ行ってしまって良いのか!
まだロブロイの扉を開いた事はないが、旅行気分の延長で足を踏み入れてはいけない場所のはずである。
多分、浮ついた気持ちでカウンターに座るのはいけない店なのだ。
そんな、根拠のない焦りを感じながら、妙立寺の拝観へ。
本堂で由来を10分ほど説明を受けて、寺の内部を案内してもらう。
忍者寺と呼ばれる寺内は、しつこいくらい色々な仕掛けがあり、その中でも粋な造りの廊下や部屋もあり、予約して拝観する価値は十分あった。
そして、加賀藩三代藩主、前田利常公の想いも歴史のある寺に籠っていた。徳川幕府に対する忠誠と警戒。
この寺を後にする時には、単なる見物の感想以外のものが自分の心に残り、何か整理はできないが、ロブロイへ向かう覚悟ができたような気がした。
その後、武家屋敷を観てまわっているうちに日が暮れて、”居酒屋いたる”にて魚を食べビールを飲み、準備は完了である。
やっと、ロブロイがあるビルの1Fに。階段を上ってロブロイの扉を開いた。
ボトルが埋め尽くす棚を背に、カウンターの中のマスターが迎えてくれた。
マスターに選んでもらったチャコールフィルター系のバーボンや、スモークンなスコッチを飲みながら、色々、お話をしているうちに、再び「ロブロイストの日々」へ書いて欲しいと依頼をいただき、
もちろん、断れる雰囲気ではなく、ウイスキーを飲んで気持ちもよくなっていて、10月中には書きますねと調子よく快諾してしまった。
とは言うものの、何を書くべきかと思いながら、マスターと話をしている内に、マスターの語りと目の奥から感じる雰囲気と、妙立寺を後にした時に感じた想いが、突然自分の中で繋がった。
そうだ、これだ。
前田家は徳川幕府という権力と向き合いながら、依存せず、でも否定や戦いを避けて、加賀に居して繁栄を求めた。
尾張から出て、時の英傑たちと関わった後にたどり着いた地で生き、一族、藩の存続に覚悟を決めたのだ。
それは、その土地で暮らす事が腑に落ちた者だけが、成し得る事ができるのだ。
マスターの城、ロブロイも居心地が良いから、そこにあるのではなく、腑に落ちた生き方の形として、そこにあり、金沢の大人の立寄り場所なのだ。
だから自分も観光の延長で気楽に立ち寄る事に対して、無意識の内に抵抗感を持ったに違いない。
ロブロイの雰囲気と前田家をリンクするのは、大仰かもしれないが、ウイスキーを飲みながら、自分なりのロブロイとマスターの定義を、勝手に思索して結論がでた。
金沢の夜は楽しい時間となった。
長い駄文となってしまったけれど、ロブロイで、美味しいお酒を飲めた事をマスターと妻に感謝して、今回の「ロブロイストの日々」「ロブロイへの道」を終えよう。
PS.
ロブロイからの帰り道、近くにある「エスカルゴ」に寄り、美味しいカクテルを飲む。
このお店も腑に落ちた大人達が続けている、とても良い店だった。
ホテルに帰ると、一日、季節はずれに暑い30℃の金沢の街を歩いたせいで、黒いポロシャツが汗をふいていた。
酔っぱらった自分は、己は腑に落ちた生き方をしているのかと問いながら、香林坊のホテルにて、犬のように眠りについた。
<ロブロイストの日々> 毎・月始め更新いたします。