【広済寺ホームページから】
https://www.kosaiji.org/hokke/hokekyo/seiritsu.htm



甚だしいという言葉を多用しているようだが、実に卑怯な戦法である。
「底本となった梵本に差異があったのであろう」と言っているが差異は無い。
「嘱累品」が最後にあるのは鳩摩羅什の妙法蓮華経だけで、それ以外の写本、漢訳は、すべて最後にある。
しかも、「嘱累品」を移動したのは、鳩摩羅什である。

よく見てみると、順序が違うのは「嘱累品」と「陀羅尼品」だけである。
それ以外は同じ順序なのがわかる。

「添品妙法蓮華経」で「陀羅尼品」が先頭にあるのは、
601年の校正時、移動されたからであり、説明が序文にある。
その方が菩薩の章が連続する事になり、分かりやすいからだ。
それだけの事だ。



【近松門左衛門と広済寺(元禅宗の日蓮宗寺院)の解説】


差異とは何なのか?具体的に説明されていない。
これは卑怯な表現である
妙法蓮華経と現存法華経写本に差異があるのは当たり前である。
漢訳に差異があるのも当たり前である。
鳩摩羅什の法華経だけが違っているのだから。
竺法護訳286年が伝統的に本来の法華経の構成を残している。

それをいうならば

●残念なことに「金剛頂経」は梵文と漢訳の差異。梵文同士の差異。漢訳同士の差異。チベット訳同士の差異。範囲の違いがある。
●困ったことに「大日経」には、サンスクリット語が無い。経典成立史が見いだせない。漢訳同士の差がある。儀軌部分が漢訳とチベット訳で違う。
●甚だしいのは「観無量寿経」で、中国でつくられたお経である。
●さらに困ったことに「無量寿経」は24願から48願に増広・改変されている。

と言わねばならない。

【広済寺ホームページから】

 

ビュルヌフ説
長行が偈頌よりも先に成立したという主張は現在の
仏教学会では、認められていない???
ビュルヌフは、大乗仏教は散文(長行)から成立したと言っている。
大乗仏典は長行から成立したのである。
崩れた文体???
韻文はガンダーラ語からサンスクリットに変換された時に最も文法の制約を受けやすい。
法華経は元々ガンダ〜ラ語だ。

●「口承」から成立していない大乗経典において、偈頌が長行より先に出来る事はありえない。
大乗仏典で偈頌から先に出来たモノもあるし、偈頌だけのモノもある、
しかしそれは、詩的表現を重視するために意図的にやっている事であって、
部派仏教時代に口承で伝えていた時代のやり方を模倣しているのである。

●パーリ仏典(阿含経)は、大乗仏典より後代に書かれたモノである。ほとんどが18世紀19世紀のものだ。
因みに「観音経」の内容は、長行より韻文の方が高度な内容となっている、これは、
「観音経」が散文から先に出来た証拠である。大乗仏教が、韻文から先に出来たと言う主張は、
「観音経の重偈」が法華経だと認めたくないアンチ法華経の輩、僧侶、或いは学者の主張である。
さらに「観音経の重偈」は、法華経以外の梵本(写本)が無い。
さらに無尽意菩薩が登場する事は決定的である。
無尽意菩薩は法華経の菩薩であり、散文にも韻文にも登場する。
さらに、観世音菩薩は散文で法華経に忠誠を誓っている。