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「植木雅俊博士の珍説!法華経論を味わう」
隠れキリシタン説浮上。
法華宗檀家による破門覚悟の告発。
※このホームページは現在進行形であり常に改善されており、
間違いを修正、不適切な言葉を排除、追加・増広している。
また、文面や、タイトルそのものを変える事がある。
文面やタイトルそのものが一つの作品だからである。
私は信仰としてではなく特許として法華経を見ている。
『末法大曼荼羅御本尊』
法華経(妙法蓮華経)の文字数は、6万9千384文字
浄土三部経の総文字数は約2万6千700文字
植木雅俊:仏教思想研究家
1951年長崎県島原市生まれ。島原高校卒。九州大学卒。同大大学院修士課程終了⇒修士(理学) |
東洋大学大学院文学研究科仏教学専攻 2001年東洋大学大学院博士前期課程修了⇒修士(文学) 2002年東洋大学大学院博士後期課程中退 |
お茶の水女子大学大学院 後期ジェンダー学際研究専攻で、論文博士号 取得。⇒博士(人文科学:男性初)専攻は仏教ではない。
○国立大学法人お茶の水女子大学学位規則 第6条 1 博士の学位は、本学大学院の博士後期課程 を修了した者に授与する。 2 前項に定めるもののほか、博士の学位は、本学大学院の博士後期課程を経ない者が学位論文 を提出して、その審査及び試験に合格し、かつ、専攻学術に関し本学大学院の博士後期課程 を終えて学位を授与される者と同等以上 の学識を有することを確認(以下「学力の確認」という。)された場合には、授与することができる。 3 本学大学院の博士後期課程 に所定の修業年限以上在学し、所定の単位を修得しただけで退学した者が、再入学しないで博士の学位の授与を申請するときも、前項の規定による。 |
大学院の標準修業年限は、修士課程が2年、博士課程が3年です。ただし、大学や研究科によっては、これより短い在学期間で修了できる制度もあります。 修士課程:2年(博士前期課程とも呼ばれる) 博士課程:3年(博士後期課程とも呼ばれる) |
密教は法華経の模倣であり、密教は人を殺傷するほどの強力な呪術であるとか、密教の呪術は危険であるというのは嘘であり、危険なのは法華経なのです。法華経の真の教えは、鬼子母神や羅刹が言うように、「法華経の信者を邪魔すれば頭が七つに破裂する」ということです。法華経や法華経の信者に干渉する者は、頭が七つに破裂すると書かれています。これは、創価学会の曼荼羅にも書かれています。
法華経は釈迦牟尼の死後500年以上経って成立した。法華経が書かれた当時、釈迦牟尼はすでに伝説上の人物であった。法華経の作者は、おそらく霊鷲山がどこにあるかさえ知らなかっただろう。法華経は「如来体系」を説いた経典であるため、多くの不合理な箇所や虚構の内容が含まれている。ちなみに真言宗の空海は、法華経の真価を分かっている人なのである。密教は法華経無くしては成り立たないのである。法華経の開祖である釈迦牟尼は、歴史上の釈迦牟尼を歪めた超人である。神仏の加護を愛するインド人は、歴史に無関心で、勝手に仏陀を創作し、超人に仕立て上げた。それがインド人である。中村元博士の弟子である植木雅俊氏は、法華経が密教と無関係であると主張しています。しかし法華経の特許が無ければ密教は存在しないのです。植木博士は、法華経の後半六品の思想は異なると主張しているが、これは誤りである。法華経の化身という概念はバラモン教から来ており、法華経の随所に説かれ、序文にも登場する。観音菩薩だけでなく、釈迦牟尼仏や妙音菩薩も化身である。植木博士は、法華経から観音経を切り離そうとしている。その理由は、創価学会では上行菩薩によって法華経が実行されると信じられているからです。植木氏はまた、法華経は小乗仏教と大乗仏教の偏見をなくすために作られたとも述べている。しかし、法華経より古い大乗経典は少ない。また、法華経は架空の仏を風刺していると述べている。しかし、架空の仏を生み出したのは法華経である。法華経は聖典として作られ、外敵に対する防御(守護神や陀羅尼)まで標準装備されている。残念ながら、富士宗や創価学会では日蓮大聖人本人とされる上行菩薩は、実は梵天神である。博士は、法華経の観音信仰は追加されたと言っている。しかしながら考古学的根拠がない。法華経は「現世利益の経典」であり、観音菩薩は法華経行者の守護神である。そして民間信仰であった観音信仰を仏教に導入したのは法華経の作者である。法華経は「観音信仰の中心経典」であり、「大乗仏教に真言を導入した先駆経典」です。
Wikipediaでは、般若経が密教への橋渡しとしての役割を無視できないと主張していますが、これは事実ではありません。般若経は7世紀頃に密教化されましたが、大乗仏教の密教化には関与していません。密教への橋渡しとなったのは華厳経です。日蓮を信仰する多くの宗教団体は、法華経は釈迦牟尼の教えであり、密教とは何の関係もないと主張しています。これは観音信仰に関係する寺院にとっても都合が良いかもしれない。しかし、信仰を無視すれば、法華経は明らかに密教の起源である。法華経が華厳経や密教に発展した理由は、華厳経の冒頭に、毘盧遮那仏の眉間から威光を発するという表現があり、これは明らかに法華経のコピーである。それ以外にも至る所に法華経の模倣がみられる。そこで華厳経は法華経を超えようとして作られた。法華経は、釈迦仏そのものを虚構化するという大胆な手法をとっています。しかし華厳経では、毘盧遮那仏は釈迦牟尼仏を超える法の化身(宇宙の真理そのもの)である法身仏として紹介されている。つまり、毘盧遮那仏を立てることで法華経を超えようとしたのだ。しかし、法身仏は説法ができない。法の化身が説法できるわけがない。聴衆が凡夫の場合、人間の体を持つ釈迦牟尼仏だけが、彼らに聞こえるように説法できる。そのため、『華厳経』では、毘盧遮那仏は沈黙の仏と呼ばれている。その代わり、法華経に登場する普賢菩薩の別名である金剛乗菩薩が、釈迦牟尼仏との仲立ちをする。しかし、『大日経』では、毘盧遮那仏が沈黙を破って金剛乗菩薩に説法する話に変わっている。『大日経』の冒頭の「かくの如く聞けり」は、金剛乗菩薩を指している。それではその会話を聞いていた人間は誰なのか?このため、真言宗では、龍樹菩薩が南インドの鉄塔で金剛乗菩薩から経文を授かったとされている。こうして密教は困難を乗り越えて法華経から華厳経、『大日如来経』へと発展し、密教は完成しました。奈良時代の僧・徳一は、真言宗の『未解決文書』の中で『大日如来経』の冒頭の「我はこう聞く」の「我」とは誰なのかと問うた。徳一が問うた空海は、『広付法伝』の第十一問「鉄塔の疑」のみに触れ、残りを無視した。その結果、後世、真言宗だけでなく天台宗からも繰り返し反駁されることになった。
尚、阿弥陀仏は、仏教が西に出てゾロアスター教の光明の神アフラ。マズダに遭遇して、それに対抗して創出した新しい仏であり、その仏国土の楽園たることをアピールして
、在地の民衆を仏教に惹き付けんとしたものであり、現世利益ではなく死後の救済を説く。浄土経典だけが一神教であり、一向宗とは一神教という意味である。浄土真宗だけは「御朱印」を発行しておりません。浄土真宗は、占い、呪術、神通力、お守り、祈祷、念力、修行の類は一切排除しております。したがって、浄土真宗のどの寺院に行っても御朱印はもらえません。だいたい「お参り」という行為自体が浄土真宗にはありません。浄土真宗は、善知識(仏の教えに精通した者)の話を聞く事だけが許されます。般若経典は「空」を説いており、法華経は、いわば「のれん分け」を説いている。例えば、「如来」というラーメン屋があったとします。店長は如来です。そこで弟子たちは修行し、店の味を再現できるようになったら、店長は彼らに店の「のれん分け」を許可します。
植木氏の師は浄土真宗の中村元教授であった。中村元の菩提寺は松江市奥谷町の真光寺(浄土真宗)で、葬儀は築地本願寺で執り行われた。学者であれば宗派を公表すべきだが、植木雅俊氏は創価学会への所属を明言していない。また、キリスト教徒の疑いもある。植木氏が中村氏とどのように出会ったのか、サンスクリット語の権威であるはずの中村氏がなぜ法華経を自ら翻訳しなかったのかなど、不可解な点は多い。中村氏はサンスクリット語の権威であるにもかかわらず、理系の出身である植木正敏氏に翻訳を委託した。植木氏は東洋大学文学研究科仏教学専攻を中退している。卒業していれば仏教学を専攻し、博士号を取得していたはずである。しかし、彼は大学を中退し、お茶の水女子大学大学院ジェンダー研究科で男性として初めて論文博士号を取得した。論文のタイトルは「仏教における男女平等の研究:インド仏教から法華経まで」であり、仏教に関する内容ではあったものの、彼の専門分野ではなかった。
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※サンスクリット語で翻訳しにくい時は、ヒンディー語でやってみるとよい。
ヒンディー語は、現代のインド人が話している言語である。
しかし全く現在のAIは、使い物にならないレベルです。今後の進化を期待する。
仏教用語ぐらい翻訳できるようにならないと、ダメですな。
サンスクリットは文法がしっかりしているんじゃなかったか(笑)
【法華経に対する様々な評価】
法華経の成立はBC50年からBC150年の間と推定されており、釈迦の没後からほぼ500年以上のちのことである。したがって法華経の教えは、他の大乗経典と同様、歴史上のゴータマ・シッダールタ(釈迦)が直接的に説いた教えではない。しかし、この経典は、編纂した教団の置かれていた社会的状況を示唆しているという説があるが、それによれば、この教団は社会の底辺に苦しむ人たちで構成されていたと考えられ、白蓮華(泥中に咲く)、二乗作仏(声聞・縁覚の小乗でさえも、人間でなくとも成仏できる)などを力強く主張し、経典(法華経)自身を絶対的に讃える姿勢などが、ごく自然に理解でき、般若経などのように理論的、思想的な面がほとんどないのも肯ける。ただし、このことが経典の相対的価値を表すのでないことはいうまでもない 。 |
法華経の「序品第一」の説法に集まっている者の総数は京(万兆)(10の16乗)という天文学的な数である。その殆どは目に見えないヒンズー教やリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群である。原始仏典では説法をする人はゴータマ・ブッダでありそれを聞く人はブッダの弟子である出家修行者であった。しかし、法華経の説法の場に集まっている者の中心は仏弟子ではない。その99.9%以上は目に見えないヒンズー教やリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群である。説法の内容も物語や比喩を用い分かりやすい。普通法華経は菩薩や仏塔信仰を中心とした教えを説いた大乗経典の典型であると見なされてきた。しかし、説法の場に集まったリグ・ヴェーダ時代以来の神霊や鬼霊の大群を見る限り法華経はヒンズー教(インド伝統の土着神崇拝宗教)の影響を受けて成立したことを示唆している 。 |
1907年、成田山東京別院深川不動尊監院渡辺照叡の子として生まれる。
1930年(昭和5年)3月に東京帝国大学文学部インド哲学科を卒業する。
卒業と同時にドイツに留学し、エルンスト・ロイマン(Ernst
Leumann)らに師事し、
1933年5月帰国。 1935年(昭和10年)3月に東京帝国大学大学院を修了する。
それは法華経が「一本経」だからです。
法華経は典型的な北伝仏教であり、地域仏教である。
インド全域というよりは局地的に流行したもので、シルクロードを伝って日本に到着した。
阿弥陀経も同じである。
『金剛頂経』『般若経』『華厳経』『宝積経』等は「経典群」と呼ばれ、
つくられた場所、時代が違うお経の寄せ集めであり、地域仏教ではない。
しかも『金剛頂経』と『般若経典』はダブっている。
法華経
観音菩薩
観世音菩薩普門品
ダーラニー(陀羅尼)
真言
鬼子母神
十羅刹女
日蓮宗
真言宗
薬王菩薩(英語)
成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌
葛城二十八宿
予定
善光寺と立石寺など予定
千日回峰行(予定)
十二年籠山行(予定)
日本人は、
「岩」を拝んでいた!
「岩崇拝」(予定)
瞑想とは深く考える事。
無の境地は嘘
-----自己紹介-----
日本仏教界の闇を暴露する喧嘩腰仏教研究家。オカルト仏教。
密教マニア。宗教改革者。ASD研究家。教育評論家。ひきこもり。
【自己紹介】 giki(仏教研究家)
●キリスト教系幼稚園を卒業。3歳児教育。
●法華宗檀信徒。
●好きな仏は「お地蔵さん」です。かわいいからです。何と法華経にでていました。うれしいです。
●自閉症スペクトラム、うつ病(二次障害)、通院中。 病人。障害あり。
行動力が無い。波乱万丈人生。自殺願望。 寒い所が苦手。 なめられている男。
●平家の子孫(平清盛のグループ)。祖父の家が蝶の家紋。4メートルの槍。
●母方の先祖は、地主或いは網元であり、豪邸に住んでいた。現在も存在する。
愛読書 勝呂信静博士『法華経の成立と思想』
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おまけ