さて鼠年も終わり、丑年が始まりました。
ところで干支(一二支)は本来「牛」から始まっていたはずであります。
昔、神様が「一番先にゴールしたものから順番にその年としよう」ということになりました。牛は足がのろいので心配になり、誰よりも速く出発しました。そしてゴールが見えてきました。一着です。
と思いきや、ちゃっかり背中に乗っていた「ネズミ」が寸前にピョンとジャンプしてゴールとなりました。
むかし僕はそのお話を聴き、さぞかし牛は悔しかっただろうと思い、そのことを母親にきいたところ、そうでもなかったらしい。牛は12支に入れたし、のんびり屋のこと、対して気にしなかったらしい。ということを聞き、ちょっとほっとしたものです。
ところが後々そのお話が載った本をよんでみたところ「大変に怒っていた」ということが分かり、ちょっと憤慨しつつ牛もただ人(牛)が好いだけではなく「よく怒ってくれた」と妙に安心したものです。
牛といえば、昔から移動用、田畑を耕す農耕牛として人間にとっては無くてはならない、大変にあり難い動物であった。が、最近は移動用は車に変わり、田畑は耕耘機に変わり、長い長い過酷な労働からやっと自由になり、これからゆっくり草原で新鮮な草をゆっくり頬張りながら、のんびりと一生を暮らせるはずでした。
ところがである。もっと大変な運命が待っていたのでありました。そうです。それは「人間に食べられる」ということだったのです。
以前は曲がりなりにも「一生」というものをまっとう出来ましたが、今は人間の言うところの「食べごろ」までしか生きられなくなりました。
せめてもが「○○産」と出生地を付けられ、ちょっと値打ちが上がったくらいでしょうか。しかしその分寿命が短くなってしまったのであります。
○○和牛と産地名が付くとそれだけで高級牛となるから不思議です。
ともあれ(皆さん、これから牛に感謝しながら食べましょう)
またまた昔のお話です。
その昔神様が全ての動物を呼び「子供を生む時季」を決めよう、ということになりました。
お前は「春」が良かろう。
お前はあったかい夏が良かろう。
お前達は熱がりだから、冬のほうが良かろう。
お前達は子沢山だ、三年ごとにしなさい。
お前達はもっと子沢山だ、七年に一度でよかろう。
とまあ、ほぼ全ての動物が決められてしまいました。
ところがです。人間とニワトリだけが朝寝坊し、行けなかったのです。
結果、ニワトリは毎日卵を生み、人間は朝昼晩、季節を問わず、のべつ幕無く、せっせせっせと子造りに励んでいるのでありました。