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(C)2003
Somekawa & vafirs

金沢 BAR <主のひとり言>

夢のバイ貝

先日石川県が誇る哲学者、かほく市にある西田幾多郎哲学館へ行ってきた。
むかし若かりし大阪時代、おデイトと称して京都へ行くと、ささやきの小道とか、哲学の小道などを「ささやきながら」歩くほのぼのとした思い出が、人並みに僕にもある。
その「哲学の小道」だが、西田幾多郎が京都大学は教授時代に、日々哲学を思索しながら歩いた小道なのだそうである。
哲学など程遠い僕は金沢へ来て「こっちの人」だったのか、と知ったぐらいである。
凡人たる・凡人、ダブル凡人など、そんなものである。

で、その哲学など分からない僕が、何を言わんとしているかというと、哲学館の半券を持っていくと、これまた石川県が誇る宗教哲学者「鈴木大拙館」へ入れると言われた。
要するにタダで拝観できるわけで、こりゃー行かにゃー損とばかり、次の週行ってきた。
実にさもしい。

で、どやった。
と言われても僕に哲学を語るなど、どだい無理というもんである。
が、一応テーマがあり、その時は「無心」とあった。

僕のような凡人のために、一応解説してあるが、無心とは何も考えない無の心ではなく、何ものにも囚われない心、なのだそうである。
また「無意識に意識」すること、ともあるが、ようわからん。
たとえば「木」とか「石」のように、人としての意識をもちつつ一片の木、また石のような状態になるのだそうである。
と言われても困る。
ではどうしたらそのような無心になれるかというと、鈴木大拙はただ一言、「スーとやるんだ」そうである。
僕は「なるほどー」と納得したような気でおりながら、何がなるほどか分からないまま、大拙館を出た。
ただ何か、スーとしたような気がした。(ほんとか)

ところで先の西田幾多郎館であるが、かほく市にある。
かほく市というと「イオンかほく」があり、ちょっと方向が違うが近くにトマトという小さいショッピングセンターがあり、 その中に「丸一」という僕のお気に入りのスーパーがあった。
「あった」とは幾多郎館へ行ったおり覗いてみると、ショッピングセンターごと無くなっていたのである。
じつに残念。

スーパーなど近所にいくらでもあるのに、数カ月おきに行っていたというのは、とにかく安かった。
安いには色々な訳があるのだろうが、まず一つには一ロットが多かった。
たとえば鮭の切り身を買おうとすると、基本は半身もしくは一匹が基本らしく、切り身もあるにはあるが、6切れからとなっている。
豚ミンチを買おうとすると、800グラム・一キロ・二キロとなる。
またバナナだとすると、普通一房とすると、通常のスーパーだと5〜6本単位だろうが、その店となると、ホントの一房らしい。
言い方がおかしいような気もするが、正味木になっている状態の一房は2〜30本単位らしい。
事実テレビなどで見かけるが、フィリピンなどの市場で見かける一房は確かにドサッとありそうである。
それを5〜6本に切り分けて日本のスーパーでは売っているようである。
で値段はというと、やっぱり近所のスーパーの一房の料金と変わらないのである。
不思議だ。
以前一房買ってきた。
嫁さんは見るなり一言「ど〜うするの」ときた。
そりゃーそうだろう、多すぎる。

しかし多すぎて困らないのが、僕が大好きだった「バイ貝」である。
バイ貝というと、近所のスーパーでは3個程度で500円とかで売っている。
がそこではというと、大きなトレーに大きさにもよるが20個から30個という事にしておこう。
それでいくらかというと千円でお釣りがくるのである。
それにしかと生食用である。
ビックリに、もう一回ビックリしよう。

それを大きな鍋で嫁さんが煮付けてくれる。
それがほんとに美味い。
煮上がるとすぐ食べるのであるが、実は次の日の方が味が染みて何倍もおいしい。
幸いにして子どもたちは食べないので、3日から4日は幸せなひと時を味わえるのである。
しつこいがウマイ。

その僕にとって大事かつ、実に重宝な店が無くなっていた。
残念の上に残念としか言いようがない。
仮にあの量を近所のスーパーで買うと、5000円は超えるだろう。
夢のバイ貝となった。
何やらスーとしない・・・。

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