・松ヶ枝公民館のあゆみ |
戦争が終わった昭和20年代初期、全市校下毎に公民館をつくることになり、当時の松ヶ枝小学校教員や地元の有志が奔走した結果、昭和27年4月に松ヶ枝小学校の視覚教室を借用してようやく公民館活動が展開されるようになった。
しかしながら自前の公民館を持ちたいという熱望が日に日に強まり、ついに昭和31年9月に現在地において公民館が竣工に至りました。この間の関係者の苦労は並大抵ではなく、その涙と汗が校下住民の総意の結集を導いたと云われています。(『松ヶ枝の広場〜公民館30年のあゆみ』より) |
当時配布された建設協力のための宣伝文≪松ヶ枝校下の2000とみて各世帯が1日に2円の節約に依り月60円貯金すれば全体で月12万円で年に144万円となり、これを4年継続すれば720万円となります。又校下の成人の方を5000人とみて一人が1日に1円の節約で月に30円すなわち光(当時売られていたたばこ)1個分を貯金すれば全体で月15万円、年に180万円となり、これを4年継続すれば720万円となります≫
このように高額の金も各人の心構えと多人数の協力で辛抱強く続ければ必ず出来得るものだと云う基本的な考え方を提示した事が協力を得られたのだと思われる。(おなじく『松ヶ枝の広場〜公民館30年のあゆみ』より) |
その後老朽化が著しくなり、平成元年3月に同所にて鉄筋3階建ての新公民館が完成して現在にいたる。 |
|
|