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林 茂雄





スーザン・ソンタグと解釈

 おそらく、「夢中にさせる小説」は数多くあっても、「夢中にさせる批評」は少ないんじゃないだろうか。十代の頃に出会った批評の中で、すごく熱中して楽しみながら読んだ書物は数えられるほどしかない(といってもそんなに読んでないか…)。コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』、前回取り上げたロラン・バルトの『エッセ・クリティック』、そしてスーザン・ソンタグの『反解釈』などが、すぐに思い浮かぶ。
 ソンタグは批評家として日本でも知られているけれども、ここでは1967年に出版された彼女の小説『死の装具』に焦点をあててみたい。小説家ソンタグは批評家ソンタグにまったく引けをとらない才女である。
 主人公ディデイは大手精密機器メーカーの宣伝広告部に勤めるサラリーマンで、将来を有望視されて出世コースを歩んでいる。しかし、若くしての結婚がうまくいかなくなって離婚、一度睡眠薬による自殺を図った過去を持つ。ディデイは会社の重要な会議に出席するため、最新式の急行列車に乗って出張するが、列車は突然トンネル内で長時間停車する。不審に思ったディデイはトンネル内に降り立ち、そこで障害物を取り除いている線路工夫に出会うのだが、口論になって頭を鈍器で殴り、殺害してしまう。列車はまもなく発車する。ディデイは同じコンパートメントに乗り合わせていた盲目の美女ヘスターを連れ出し、彼女の積極的な態度にも導かれて車内のトイレでセックスする。
 やがてディデイは彼女と付き合い始め、結婚を約束していっしょにニューヨークで住み始めるのだが、ディデイの頭には殺人事件のことがひっかかったままだ。ディデイはヘスターに事件の真相を打ち明けても、彼は列車から一歩も外へ出なかったと彼女は主張するし、新聞も線路上に障害物があったことにはまったく触れない。殺人は本当にあった事実なのかどうか、主人公ディデイ自身も判然としなくなっている。――もちろん、ディデイの一人称でこの小説は語られている以上、我々読者も真実を知ることはできない――。
 ある日、ディデイは決心をする。ヘスターを伴ってもう一度あの事件現場のトンネルを訪れることを。そこには線路の上に障害物があり、彼が殺した男によく似た線路工夫がいる。ヘスターの目の前で彼は再び殺人を起こすことになる。今度は第三者の証人がいるのだ。しかし、皮肉なことに盲目のヘスターは目撃者となることはできない。ディデイの真実を保証してくれる人間は今度もまた不在なのである。
 ディデイは線路の上でヘスターと性交した後、トンネルの世界を突き進んでいく。そこはもう異世界である。トンネルと連続して現れたギャラリーの壁には、「どれもこれも漠然と死をテーマにした」メッセージばかりが無数に掲げられている。「土より出たものは土に帰る」「死人に口なし」「問題は死の前に生があるということではないか」「罪のつぐないは死なり」などなど。さらに進むと、「至る所に棺が乱雑にころがっている」巨大な地下納骨堂のような空間になり、ディデイは「死とは生の百科事典とイコール」だと知る。「死ぬことは過度の労働」だと感じながら、「ディデイは歩き続ける、自分の死体を探し求めて」――。
 この『死の装具』は、そのタイトルに端的に表現されているように《死》がテーマになっている。主人公ディデイは死の感覚に取りつかれており、生活はしていても生きているとはいえない人間だ。ディデイは生へと向かうために盲目のヘスターという存在を必要とした。しかしながら、ヘスターは冥府から脱出するためのアリアドネの糸にはならなかったのである‥‥‥
 カフカ『審判』やカミュ『異邦人』などが引き合いに出されることもある、この『死の装具』の面白さと迫力を、ここで充分に紹介することはできないが、この非現実的な小説の中には、意外にも、ソンタグの自伝的な要素が織り込まれている――それがわかったのは、『わたしエトセトラ』所収の一風変わった短篇「訪中計画」を読んだときだった――。それゆえか、この小説は眩暈を与えるような不確かさを読者に与え続けながらも、描写は非常に鋭く力強い印象を与え、読む者をぐいぐいと引っ張っていく。
 ソンタグは1933年、ユダヤ人家族の娘としてニューヨークで生まれた。6歳の時に父親を結核で亡くしている。母はアルコール中毒だったという。シカゴ大学を卒業後は、ハーバード大学、オックスフォード大学でも学び、1966年に出版した『反解釈』で一躍時代の寵児となった。彼女の美貌も手伝って「アメリカ前衛芸術のナタリー・ウッド」と呼ばれたりもしたようだ。
 『反解釈』では、表現内容(意味)の解釈よりも表現形式の美学を訴えたソンタグであるが、彼女自身がこの『死の装具』について批評するとしたら、一体どんな言葉を紡ぐだろうか、と考えてみるのも手だが、あえて彼女の主張に逆らって、さまざまな角度から解釈してみたい気もする。だが、その一方で、厄介なことに、「この小説はとても面白い!」と言うだけで満足したい自分もいる。もちろん、この小説の面白さを他人に伝えるためには、自分なりに作品を分析してみなければならないのだけれど、とりあえず「読んでみてよ」と言いたくなってしまうのは、私の読解力の貧しさ以上に、この小説が持っている不思議な迫力のせいだ。




スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)/生年1933年、没年2004年。享年71歳。
代表作『反解釈』『火山に恋して』ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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