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林 茂雄





ドゥルーズと冒険

 ジル・ドゥルーズは、ジャック・デリダ、ミシェル・フーコーと共に、20世紀後半の思想界を牽引してきた哲学者で、彼らフランスの思想家が世界に与えた影響というのは、こう喩えていいならば、音楽界におけるビートルズやローリング・ストーンズに匹敵するだろう。
 ドゥルーズは哲学者ではあったけれども(事実そうだったし、自分でもそう名乗ったが)、どこか哲学者らしからぬところがあった。彼の著作から感じられるのは「芸術家肌」のようなもので、わたしは彼を「芸術的哲学者」と勝手に呼んでいる。
 ドゥルーズの思考スタイルというのは、デリダのように緻密なテクスト読解を経由するわけでも、フーコーのように様々な古文書に基づくわけでもなく、多種多様な知識に裏打ちされながらも、かなり自由で柔軟なものだったし、そこには未知なるものを常に求めるあくなき冒険心が感じられた。
 1960年代後半に著された主著『差異と反復』は、冒険のない哲学、冒険を抑圧する哲学への容赦ない批判であると共に、冒険の実践の書だ。この書が持つ衝撃的な魅力について、その片鱗でもここで提示することは容易ではないのだが、この作品によってドゥルーズ的な思考(イマージュなき思考と呼ばれ、後にノマド的思考と呼ばれたもの)が決定的に生まれたのだった。
 ドゥルーズのテクストはある意味ではわかりやすい。各文章は比較的短く、難解な語彙の頻度も多くはない。章ごとに、またパラグラフごとにポイントも掴み易く、ビジネス企画書のように論理的だ。チャートでレジュメを作るのもさほど難しくはない。しかしながら、彼のテクストはある意味ではわかりにくい。他の哲学者から引用された概念や他分野から借りられた概念が、ドゥルーズ流に定義されているから(暗黙のうちに、暴力的に)。つまり、それらの概念はドゥルーズの文脈で捉え直す必要があるのだ。
 どうやってそれを捉えればいいか。それはもう感覚に頼るしかない。そこにドゥルーズを読むことの実験性もある。テクスト自体は論理的であるのに、感覚を鋭敏に研ぎ澄まさなければ、読解することが困難なのだ。「感覚の論理」そして/あるいは「論理の感覚」。それ故に、ドゥルーズのテクストがビジネス企画書のような外観を纏いながらも、むしろ芸術的なマニフェストのように感じられるのである。
 ドゥルーズほど死からほど遠い哲学者もいないだろう。彼の思考はひとつの場所に留まることを知らず、常に動き、次から次へと言葉を連結させた。彼が対象を判断するときの基準は、まずそれが情動に作用を与えるかどうかであり、次にその作用が能動的か反動的かということであり、さらにそれがどんな効果(エフェクト)を与えるかだった。だから、彼は言葉をそれほど特権化していない(デリダと大きく異なって)。彼ならば、映画監督になることも、画家になることもありえたのではないかと思われる。だから、彼を芸術的哲学者あるいは哲学的芸術家と呼んでも構いはしないだろう。
 今から10年前の1995年のこと、病身であったジル・ドゥルーズは、投身自殺により70歳の生涯を閉じた。高齢者の自殺は珍しくはないのかもしれないが、ドゥルーズが自殺することなどまったく予期できなかっただけに、鈍い打撃の残響は今でもある。しかし、彼のテクストにおいて、差異と反復が補完しあい、感覚と論理が補完しあうように、彼の自死という行為も生と離反するものではなかっただろう。階上から70歳の病人が身を投げた時、ひとりの哲学者が芸術家へと最も近づいた瞬間だったといえないだろうか。というのも、どんな前提にも頼らない未知の世界への投企にこそ、彼の哲学の芸術性があったからであり、そこにこそドゥルーズの本領があったからである。




ジル・ドゥルーズ/生年1925年、没年1995年。享年70歳。
代表作『差異と反復』『アンチ・オイディプス』(ガタリとの共著)ほか。

はやし しげお  金沢生まれ。東京在住。
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