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林 茂雄





種村季弘と迷宮

 ハンス・ヘニー・ヤーン、オスカル・パニッツァ、パウル・シェーアバルト、グスタフ・マイリンク、アルトマン、アンドレーエ、ホッケなどなど、もし種村季弘がいなかったら、私が彼らを読むことはなかったかもしれないし、彼らの名前すら知らずにいたかもしれない。特にヤーン、パニッツァ、シェーアバルト、マイリンクは私好みの作家で、紹介者であり翻訳者である種村にはいくら感謝してもしきれない。
 実はそんな種村さんには、龜鳴屋主人勝井氏をはさんでちょっとした縁がある。金沢で仕事をしていた頃、ある老舗の温泉旅館がアニバーサリーを迎えるというので、「記念に何か本でも作りましょう」ともちかけた。そこは泉鏡花に由縁のある温泉宿で、鏡花作品の中でも名前が出てくる。そこで「その作品をからめて本を」といいかげんに話をしたまでは良かったのだが、私は金沢を離れなければならなくなり、勝井氏にその企画の面倒を見てもらうことになった。
 その後、勝井氏は種村さんにエッセイを依頼して、その企画を見事に1冊の本に仕立て上げた。その本は非売品なので多くの人の目には触れていないと思われるが、種村さんの全裸写真が掲載されているというオマケもついていて稀少価値は高い。話はそれだけにとどまらず後日譚がある。実は、種村さんがその本の取材を兼ねて金沢に来ていた時、体調を崩して急遽入院ということになってしまった。そして、看病にあたりながら種村さんから貴重な個人講義を受ける栄誉を与えられたのが、勝井氏であった。願わくば、病院に寝泊りしてでも、私もその文学談義を拝聴したかった。
 「ある種の昆虫は蝶に変身するとき、翼は生えるが、胃袋がなくなる。めくらむように華麗な翼はひたすら誘惑のためにひるがえり、一瞬愛してから、たちまち滅びるのだ。性の器官だけあって、食の、生体維持の器官が欠如したこの美しい不具性のなかでは、死とエロスが最短距離で結び合うだろう。死は愛のクライマックスに訪れ、蝶は美しいままで死ぬ。」(『種村季弘のネオ・ラビリントス4』)
 おそらく勝井氏は、こういう博覧強記に裏打ちされた華麗なる言葉を種村さんの口から直に聞いたのではなかろうか。「フランスの澁澤、ドイツの種村」「サドの澁澤、マゾッホの種村」とよく並び称されるが、縦横無尽に古今東西の書物を手際よく狩猟していく彼らの手捌きを目の前にすると、読者たる我々は、巨大な迷宮に迷い込んだように途方に暮れてしまうのではなかろうか。しかしながら、そんな迷宮を彷徨うことでもしなければ、「死とエロスが最短距離で結び合う」ヴィジョンを感得することもできないのかもしれない。
 独文学、特に幻想文学の翻訳・紹介、美術に関する評論、錬金術や薔薇十字などに関する神秘思想研究、温泉を巡るエッセイなど、多彩な執筆活動を展開してきた種村季弘は、2004年8月29日午後8時25分、静岡県内の病院で永眠した。その訃報を新聞で知った私は、勝井氏に電話をかけた後、『ナンセンス詩人の肖像』を書架から引っ張り出し、しばし読み返してみるのだった。




種村季弘/生年1933年、没年2004年。享年71歳。死因胃がん。



はやし しげお  金沢生まれ。
2004年上梓された龜鳴屋第4冊目『幻の猫』は、種村さんの眼鏡に適ったに違いない。
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