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林 茂雄 |
藤枝静男と物質的感覚 | |
渋く地味な作家である。しかし、自らの作品のひとつを「私々小説」と題した如く、単なる私小説作家ではない。既成の枠に収まりきらない不気味さを、藤枝静男は持っている。彼の作品はすんなりと読める。軽くはないが、重いという印象が強いわけでもない。しかし、読み終わった後、あたかもボクサーがボディブローを受けた時のように、じわじわと効いてくるのが藤枝文学なのだ。何が効いてくるのか?――それがよくわからないのがまた不気味である。読み飛ばしたつもりでいても、作品の感触が肌にこびりついたようで、時間が経つほどに体内に染み込んでくるようだ。そうなるともう忘れることはできない。そして、藤枝をまた読みたくなってしまう。 珠玉の作品として『空気頭』や『田紳有楽』が思い浮かぶ。洒脱で自由闊達な筆の冴えは、すれっからしをも陶然とさせること請け合いである。ほかにも数多くの優れた短篇作品があり、そのほとんどが私小説的と形容していいが、凡百の私小説とは一線を画す強度が感じられる。その地味ではあるが特異な作風は、模倣しようにも模倣しがたい頑固さが感じられるが、時折その頑固さは滑稽さと区別が付かなくなるほどになる。 藤枝に「妻の遺骨」という小さなエッセイがある。「二月二十六日の正午すぎ、妻は息を引きとった。翌日火葬にし、私は少量の遺骨をビニール袋に納め、ポケットに入れて一週間の旅に出た」。無宗教だった妻のため、藤枝は浜名湖と大原美術館に小さな骨片を埋めに旅に出る。浜名湖は妻が少女時代に親しんだ場所であり、大原美術館は二人の思い出の場所だ。いつもながらの淡々とした筆でエッセイは綴られてゆく。 しかし、藤枝は大原美術館でヘマをやる。彼は「受付の若い娘さんの許しを得て」中庭の一本の木の根元に骨を埋める。その晩、街で偶然に受付嬢に出会い、明朝来館するようにとの事務長からの伝言を受け、翌朝行くと埋めた骨を持って帰れといわれる。藤枝は砂利をよけて骨片を取り出し、ポケットに入れて去ろうとする。しかし、事務長が追い駆けてきて藤枝に何かを手渡す。それは「妻のものと思われる新しい、白っぽくて少し泥のついたもろい骨片」であった。藤枝のポケットに入っていたのは、骨片と見間違えた石のかけらだったのだ。 「死んだ妻が哀れで可哀想でならなかった。なぜこんな残酷なめにあわされるのだろうと思うと、自分のヘマにも一緒くたに腹が立って齢甲斐もなく涙が出た」という藤枝には、おそらく墓埋法や刑法の遺骨遺棄罪のことは頭にない。藤枝のヘマは、骨片と石片を間違えたことにあるのではなく、わざわざ受付嬢にことわって事をなしたことにあるのだ。この小文の内容は、美術館の事務長の正当性を証だてるだけであるが、その抑制の効いた文体は、我々を藤枝に同情してしまわざるを得ないように仕向ける。 いや、そんなことはどうだっていい。藤枝文学の真髄はそこにはないのだから。死んだ妻のことについて書いたものならば、むしろ「悲しいだけ」という短篇をまず引用すべきだった。ある意味でこのタイトルに藤枝の魅力が凝縮されている。藤枝は「妻の死が悲しい」とはいわない。「妻の死が悲しいだけ」というのだ。この《だけ》という一語にこそ藤枝静男の魔術性があるといってもいい。 「『妻の死が悲しいだけ』という感覚が塊となって、物質のように実際に存在している」 悲しいという感情は人間的なヴェールを剥がされ、それ以上でも以下でもない無機質的な塊となる。その塊は意識の中で形成されたものではなく、無意識の深みから突如出現したかの如くである。藤枝は感情を抑えて表現したわけではなかったのだ。《だけ》という一語を加えて彼が表現しようとしたのは、感情が余計な装飾を纏う以前の根源的な感覚であり、「悲しいだけ」としかいえないような物質的な感覚なのである。 そしてまた、物質も感覚的になる。典型的な私小説のスタイルで始まる『田紳有楽』は、突如「私は池の底に住む一個の志野筒形グイ呑みである」という文で壊乱する。このグイ呑みは金魚と恋に落ち、愛の結晶としてミジンコを生む。やがて新幹線級の猛スピードで泳ぎ回る茶碗、実は空飛ぶ円盤である丼鉢などが登場し、物語は破天荒を極める中(というよりムチャクチャやんけ)、最後はご詠歌の合唱で不可思議な大団円を迎える。何と感覚的な陶器類だろう! 滑稽さに似た不気味さを持つ藤枝文学を、私はひそかに魔術的私小説と(勝手に)呼んでいるのだが、それが窺われる晩年の短篇、その名も「老いたる私小説家の私倍増小説」からも引いておきたい。 「さてここ数年来の私は、これまで同じ事を何回も書いて雑誌編集者からカラカワれてきたように、自分の頭蓋骨内の脳組織内細胞が恐ろしい速度で崩壊死滅しつつあることを自分自身に思い知らされつづけて恐怖ともつかぬ悲哀に半ば打ちひしがれているのである。(中略)意識して抵抗していかなければ俺は遠からず芯からの非人間的痴呆に落ち込んだ状態で死を迎えるほかはない 。」 かなりシリアスな暗い内容として読んでしまうところである。そのタイトルを知らなければ。 |
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藤枝静男/生年1908年、没年1993年。享年85歳。代表作『空気頭』『田紳有楽』。 |
はやし しげお 金沢生まれ。 安部公房と同じく2003年の今年は藤枝静男の没後10周年となる。 | ||
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