01 07

林 茂雄





澁澤龍彦とオブジェ

 墓とは何か。最も簡単に答えるならば、それは、人間の中で最後に残る骨を、自然界の中で最も恒久性を持つ石の下に納めたもの、といえるだろう。それは、絶えず流れ去ってゆく時に、人間がわずかに抵抗を試みたものだ。「石はいわば永遠に時間に汚染されない純粋な物質、超時間性あるいは無時間性のシンボルなのだ」と『思考の紋章学』の中で澁澤は書いている。
 サドやコクトーなどの翻訳をはじめ、三島由紀夫についての評論、博覧強記の数多くのエッセイ、そして古今東西の古典から材を借りた小説など、多彩な執筆活動により我々を幻惑させる当代随一のスタイリストであった澁澤龍彦は1987年、下咽頭癌のため59歳という若さで他界した。最後のエッセイ集『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(死後刊行、今年文庫化)には、同題の遊病記(もちろん澁澤が闘病記など書くはずはない)が収められている。
 澁澤が幼年時代に得意だった図画で、お気に入りのテーマが3つあったという。海底、蟻塚、そして墓である(『人形愛伝説』)。墓を好んで描く子供などそうざらにはいまいと思われるが、海底も地中(蟻塚)も死の世界へと通じるのではあるまいか。その頃から徐々に澁澤ワールドは形成されていったのであろう。その特異な世界を澁澤はドラコニアと自ら命名し、種々様々なオブジェによってマニエリスティックに装飾していったのだ。
 龍の王国ドラコニアでは、迷宮、幻想、夢、暗黒といった概念さえも、人形、鉱物、化石、玩具といったオブジェと等しく陳列される。怪物、天使、悪魔、少女もしかりである。すべては蒐集家澁澤によって標本箱に入れられ、静物として王国のコレクションに加えられる。その王国はそれ自体で完結した球体であり、何ひとつ動くもののない沈黙の世界(死の世界)であるにも拘らず、妖しい生気(エロス)に満たされている。
 彼の書斎や居間の写真を見ればわかるように、髑髏、鉱物、貝殻などがキャビネットを占領し、そこにはドラコニアそのままの世界が実際に現出している。彼は時計も好んだようであるが、ただし条件付である。「私は現に活動している時計よりも、古くなって動かなくなった時計、針の欠けた時計、ローマ数字の文字盤の黄色くなった時計、つまり死んだ時計を何よりも好む、奇妙な性癖の持主なのである」という。「時計とは、まさしく時間のネクロフィリアではないだろうか」(『思考の紋章学』)。
 石に戻ろう。澁澤が石の中でもとりわけ大のお気に入りだったのは、「石の中の石」、つまり石の中に石が入っているという石の入れ子である。プリニウスや南方熊楠が述べている鷲石というのは、内部に空洞があって振ればガラガラと音が鳴る石で、澁澤の書名にあるように胡桃の中の世界である。「超時間性あるいは無時間性のシンボル」である石の中に永遠に閉じ込められた石。永遠の中の永遠。入れ子構造の、二重の永遠。
 「私は○○の性癖の持主なのである」といった表現を澁澤はよくしたが、それは、スタイリストというものが、自らを主体(サブジェクト)としてよりも対象(オブジェクト)として扱ってしまう人種だからだ。そういえば澁澤の文体(スタイル)は鉱物的である。乾いて、冷たく、硬い。しかし、そこには奇妙な愛がある。対象を永遠に封じ込めようとするエロス(ネクロフィリア)が。
 最後に書物について語ることにしよう。彼が石以上に偏愛したものといえば、やはり書物をおいて他にあるまい。書物もまた愛書家にとってはオブジェとなるものなのだが、そのオブジェには宇宙を閉じ込めることができる。書物とはそれ自体ドラコニアなのである(澁澤とボルヘスとの親近性)。晩年と呼ぶには若すぎる50代の澁澤が、古今東西の古典を換骨奪胎して、『うつろ舟』や『高丘親王航海記』といった物語をつくったのは、書物の中に書物を閉じ込め、内部で永遠に結晶化させるためでなかったかとも思えるのである。



澁澤龍彦/生年1928年、没年1987年。享年59歳。死因下咽頭癌による頸動脈瘤破裂。



はやし しげお  金沢生まれ。本人によればステファヌ・マラルメの子孫だという。鉱物を30点ほど所有している。
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