01 05

林 茂雄





深沢七郎と極楽の琵琶

 深沢七郎は決して名文家ではなかった。彼よりも上手い文章を書くことは、アマチュア作家にもできるだろう。しかし、彼のように、かくも残酷で悲劇的な世界を、あっけらかんとユーモラスに書ける作家は一人もいなかった。天衣無縫と呼ぶほど華麗ではないが、そうとしか形容しがたい天性の筆で多くの傑作は書かれた。
 ただ、代表作『楢山節考』と問題作『風流夢譚』を除けば、世間によく知られているとはいえないようだ。しかしながら、多くの短篇のほか、『庶民列伝』、『盆栽老人とその周辺』といった長篇など、そのほとんどの作品は粒選りの傑作、佳作ばかりである。大作や名作とは呼びづらいけれども、それは深沢七郎なのだからしょうがないのである。
 深沢は生涯独身だった。いつ死んでもいいようにと、墓も仏壇も遺影も自分で用意した。あろうことか自作自演のお経のテープまで用意した。プレスリーやローリングストーンズの曲をBGMに、般若心経などを自ら読経してテープに吹き込んだのだ。遺言どおりにそのテープが流された奇妙な葬儀は、滞りなく執り行なわれた。
 深沢は変人奇人だったのだろうか。そうともそうでないともいえる。彼ほど正体の掴みにくい作家も珍しい。今川焼の「夢屋」を開いたり、「ラブミー農場」を始めたりといった突飛な行動と、めくるめく物語の世界を紡ぎ出す文筆力とは、決して相容れないものではない。しかし、彼の作品のほとんどすべてを読んではいても、未だに焦点の合った人物像が得られないのだ。その理由は一体何だろう。彼が狂気を孕んだ天才だからなのか、それとも、単純すぎて視線が彼を素通りしてしまうからなのか。
 エッセイ「自伝ところどころ」で深沢はこう語る。「屁は生理作用で胎内に発生して放出されるもので、人間が生まれることも屁と同じように生理作用で母親の胎内に発生して放出されるのだと思う」。我々は屁のように「変な作用で私たちは生まれたのだから、生まれたことなどタイしたことではないと思うのである。だから、死んでゆくこともタイしたことではないと思う。生まれて、死んで、その間をすごすことも私はタイしたことではなかったのである」。
 彼を小説家と呼ぶよりも物語作者と呼びたい。小説というより、お話であり、物語であるのだ。その作品は、小さな庶民的世界、土俗的世界を描くが、そこに浮かび上がるのは、大きな民話的、寓話的、神話的世界である。柳田国男『遠野物語』と同じように。その意味で、深沢の作品は現代を舞台にしている場合であっても古典的なのであり、普遍性を持っているのだ。
 深沢は書くよりも語り、歌う。彼が最初ギタリストだったこと、そして最初の作品が「楢山節」という歌がモチーフだったことも、それを裏付けしていまいか。葬儀で流されたテープには、深沢自身の弾き語りによる「楢山節」も録音されていたのだが、現代の琵琶法師と呼びたくなるのは、私だけだろうか。



深沢七郎/生年1914年、没年1987年。享年73歳。死因心不全。



はやし しげお  金沢生まれ。本人の証言によればザッヘル・マゾッホの子孫だという。ジダンを愛するサッカーファンである。
-

東西作家死亡年譜へ       



04へ