河崎 徹
第七回 「少々疲れた一日

「マサコサマ」上から読んでも、下から読んでも「マサコサマ」と遊んでいた分にはよかったが、ヒマな仕事場でテレビをつけても、どこのチャンネルも「マサコサマ」である。若い(それほど若くないか)男女が同じ屋根の下で暮らしていたら…という事であり、私にはさほど関係のない事である。こんな日は早く家に帰って夜釣りに行くのが最善である。どうせ家に帰って夜テレビを見ていても「マサコサマ」である。テレビの前でブツブツ言って「ボケの始まり」と言われるより、一人で海に向って釣り竿を出す、我ながらいい趣味を持っているな、と感心する。
ところで仕事場からの帰り道、F先生の家に寄る。この人も「マサコサマ」である。ただし「私にとって関係のない」とは言えない(世話になっている)人である。そこで簡単な用事を済ませて我家に着く。さて、我家にも「マサコサマ」がいる。この人も「私にとって関係のない」とは言ってはならない。ただ家に着くや、おもわず「マサコサマ」は我家の一人で十分と言ってしまった。本人は「ハハ」と笑っていたが、それ以上の事は私は何も言わない。「Fマサコサマ」も我家の「マサコサマ」も私にとってはコワイ存在である。「Fマサコサマ」は私が大学生の時の教官である。学生時代(今も)、私が「美人は心もやさしい」と言ったら「単純な(バカな)男の思い込みよ。女はコワイのよ」と一喝された。
我家の「マサコサマ」は名実共に我家の大黒柱である。食後、その大黒柱に一応許しをもらって釣りに出かける。夜、人気のない所で、釣れればいいが釣れない時は何をしているのか、よく釣りをしない人に聞かれるが、私の場合は、釣り場で考え事をするのが好きで、又不思議と考えがまとまる様な気がする。
数年前、ある雑誌社(どうもつぶれてしまって私の原稿はボツになった様だ)から原稿を依頼されたが、我家には私の部屋もなければ机もない。仕方なしに仕事場で書こうとすると、そんな時に限って客が来たりする。それならと釣り場で書いてみると、これが結構考えがまとまり、又魚も釣れ、ニ兎とも手に入れる事が出来た。釣り場で竿先をながめながら、いつもは翌日の朝食や弁当の献立とか、日本の、又アフガンの将来とか多種多様(支離滅裂)である。ただ今日はどうしても「マサコサマ−皇室」が頭から離れない。もう四〇年も前(私が小学校高学年か中学生の頃)に、昭和天皇が全国各地を訪れていて、金沢訪問の折に、友人といかなる動機かは覚えていない(たいした動機はなかった)が、昭和天皇が車で道路を通過するのを見学に行った。まずビックリした事は、その人の多さで、その次に車が通った時の集まった人々の態度である。ある人は熱狂して「バンザイ」を、ある老人はただひたすら道路に顔をすりつけ泣いていたのである。思わず私は心の中で「何じゃこりゃ」と叫んでしまった。戦後教育を受けた私には、この有様は何なんだろうとショックを受けたのを今も覚えている。それから後、その事に対する答えとして、人間とはその人の歴史の中で一度刷り込まれたもの「思い込み、あるいは意識」は、そう簡単に知識だけではぬぐい去る事はできないのであろうと。この刷り込み、思い込み、意識なるものは、戦後の私達の時代にも目標を変えてつづくのである。戦後の経済発展を競争原理で推し進めてきた過程で高学歴をみんなが目指し、成績のよい者が将来の幸福につながるという思い込みで、学問の好き嫌いより、他人より成績がいい事に価値観を見い出し、受験戦争なるものをやってきた。そこで脱落する事をおそれ、勝ち残る事で親も子供も安心できた。そこで多くのものを失い、又、年令相応のやるべき事(やりたい事)を見逃した事に気が付かずに走り続けてきた。そういう社会の流れに人々は抵抗したかもしれないが、私の青春時代も又その流れの中に飲み込まれていた様に思う。ただ、大学生時代にその事に少々気づき迷っている時、各地で大学紛争なるものがあり、その機会に私も一度立ち止まって、自分のこれまでとこれから先を考えてみた。その当時、多くの有名大学の学生達の「大学解体」などという自分の存在(エリート)をいとも簡単に否定する発言には「刷り込まれたエリート意識」なるものが単なる知識だけで簡単に変わるものか、二〇年で身についた意識はぬぐい去るには二〇年掛かるのではないか、という疑問がいつもついて回っていた。「迷って立ち止まる、人間はそこから新しい生き方が始まる」と思っているうちに、私だけが取り残され、他のみんなは遥かかなたのもと来た道を走っていた。それでも競争社会には必ず敗者がいて、負けるが勝ちと思っている人が、私の周りにもいる事を知り、現在までやって来れた。
戦前、戦争の富国強兵によってのみ幸せがもたらされる、そして戦後の競争によって勝った者が幸せになれる、というそういう両方が渾然一体となった現代の日本社会の意識、思い込み、刷り込みにはどうも私はついて行けなかった様だ。同じ思い込みでも「美人は心がやさしい」とか「私には陸上から水中の魚の動きがわかる」という方が合っていそうだ。
ところで、この口先だけで日本の将来を憂いたり、あやしげな私の思い込みなどは、毎月しっかりと現金を運んでくる我家の「マサコサマ」を前にして考える事は憚られる。ただこの広く暗い海では私の取り止めもない考えが何の抵抗もなく吸い込まれて行く様な気がする。そして私のあやしげな「地上にいて魚の動きがわかる」の思い込み通り、急に釣り竿が弓なりになり、そのまま海中に引き込まれそうになる。必死になって竿を立てる。その瞬間からもう頭の中がすべて入れ替わり「スズキだ」「大物だ」「慎重に」と単語だけの世界になってしまう。
釣れた大物は七〇センチもあろうかといった立派なスズキである。「これだから釣りはやめられん」と自分の行為に納得する。ただ今回のスズキはいつものスズキと異っていて出産直前であった。釣り仲間で言うところの腹ブトスズキであり、丸々と肥えて実にウマソウである。が、フトこのスズキの出産をなぜか考えてしまったのである。英国では釣りは紳士のスポーツであると(アイザック・ウォルトン『釣魚大全』)、又魚にとっては生涯の大事業であり、その卵がどれほど多くの子孫を残すかを考えれば、そのまま海に返すかと、でもそんな考えはすぐに頭の片スミに追いやられた。私は紳士ではない。腹ブトスズキなど釣れたのは初めてである。今年はおそらくもう釣れなくて最後の獲物であろう。貧乏人がイイカッコウすると後で後悔すると、結論はいわずもがな、である。家に帰って風呂に入りいつもは(釣れた時は)その感激を湯舟につかってゆっくり思い出し、その日の疲れが一遍に消え去るのだが、どこかに出産という言葉がひっかかるのか少々疲れが残ってしまった様だ。となりの部屋から相変わらず「マサコサマ御出産」の報がラジオから流れていた。

      どこへ行く 少々気になる 赤トンボ
      何もかも 息を殺して 秋の暮れ
      ため息一つ わが心映す秋



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