河崎 徹
第一回 「読みたい奴は読め。わしゃ知らん。」

寒かった冬もようやく終り、私の仕事場(イワナ・ヤマメの養殖場)にも、ようやく春が訪れてきた気配である。冬の間は物好きな客か、スキー仲間ぐらいしか訪ねてくる人はいない。ただ一度すごく寒い日に、どうしても家の中に入れろと変なタヌキが来たが、「お前の来る所ではない。これくらいの寒さがなんだ。」と、入り口を閉め切り、外に私の食べ残しのキツネうどんをおいてやったが、翌日うどんは食べられぬまま冷たくなっていた。かわいそうな事をしてしまった。それ以外は少々雪が多く、除雪に苦労はしたがマイペースの生活でやってきた。でもこれからは春の山菜の季節。さらにゴールデンウィークといそがしくなるはずである。私も「よし!これからガンバルぞ!」と自分に言い聞かせる。ところがである。
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その決心をした翌朝、いつものように朝食の準備のため、我妻より先に起きようと(我家では収入の少ない私が朝食・弁当をつくる)、立ち上がったとたん右ヒザにズキンと痛みが走った。さては我妻が真夜中に、日頃のウラミを晴らすために「ケリ」を入れたのかな、と調べてみるが、外傷らしきものはない。どうも昨日の私の決心がよくなかった様だ。人間の体とは正直なものである。真底「ガンバルぞ!」と思っていたのに、つい口をすべらしてしまったために、ヒザが拒否反応(ヒザが笑った?)を起こしたのだろうか。それでも朝のこの時間帯はゆっくり原因など考えるヒマなどない。朝食・弁当をつくり、我妻を仕事場まで送り、自分の仕事場に着いて、いつもの様に「まず一服」と体を休めるが、一向にヒザの痛みは取れない。体の痛みを押してまで仕事をしようとは私は思わないし、回りの友人達も言わない。私にとって、もっともこわい我妻も言わないはずである。最低限の仕事だけをすませて早々と我家にもどる。痛みは増々ひどくなる。家に着き、ビッコを引きながら、我妻と高三の娘に「ヒザが…」と言った瞬間、二人が口をそろえて「トシや」と、その一言でもう何も言いたくもなくなった。さらに夕食の席で、我妻は医者がきらい、注射がきらいなのを知りながら、「医者に行って大きな注射でもしてきたら」と傷口に粗塩をぬる様な事を言う。「お前が五〇肩で困っていた時に、そんなヒドイ事を言ったか」と反論する。ただし食事の時に子供達を前にして夫婦ゲンカをするほど、もう若くはない。その晩は早めに床につくが、寝返りを打つ度に痛みが走り何度も目がさめる。
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その翌日は前日以上の痛みである。くつ(サンダル)をはくのに我妻に手伝ってもらう有様である。もう亡くなった自分の父親が、年老いて外出する際に母親に「しっかりはきなさい」と、いつもしかられていたのを思い出す。そんなで、仕事に行くのもおっくうで、やっとたどり着いた仕事場では痛みと眠気で何もする気になれない。そんな時は誰れかに電話して、自分の「あわれな現状」を理解してもらうのが一番の薬と、あちこちに電話する。「人間には五〇肩というのがあるらしいが、自分のは五〇ヒザらしい…」。相手「ひょっとしたら通風じゃないか。いや、ビンボウ人は通風にならんはず。今時はビンボウ人でも通風になるかも…」。ロクな返事が返ってこない。それなら、この「あわれな現状」を利用して、龜鳴屋のホームページへの原稿のしめ切りをえんちょうしてもらおうと電話する。第一声が「原稿できたか」である。みなさん、さして同情する様子なし。まあ、世の中そんなものであろう。明日までに痛みがやわらがなかったら医者へ行く決心をするまでである。そして大きな注射が待っているだろう。
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ところで注射といえば、龜鳴屋の主人=勝井君も先日、急に肩が痛くなり、原因は何でも、余分なカルシュウムが溶けだした、との事。余分なカルシュウムがあるほど立派な食事をしているとも思われないが、その彼が治療のために大きな(太い)注射を打って、その痛さに、もう二度と打ちたくない、と言っていたのに、次回、二本目を打つかもしれない、と言う。人間には、一度ひどい目に会うと、それを乗り越えようとする人間と、どちらかといえば「もう二度とゴメン」と後ずさりする人間がいるようだが、私の場合、どちらかといえば後者の方である。勝井君も私の仲間かと思っていたのに…。それとも、彼の場合、外見とは似つかない、マゾの気があるのかも。案外、痛みに強い人間とは、そうゆう人種なのかもしれない。それと私が注射をきらいなのは、「人間の体にメスを入れるのはよくない」と聞いているからである。ならば、「注射だったらいいのか」という疑問がある。刀で切りつけられるか、ヤリで射されるかの違いで、どちらも体に傷がつく事には変わりないように思える。いろいろ理屈をつけて、医者、注射からのがれようとしている。
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ついでにもう一つ、「痛みに強い人間は弱い人間ほど進化していない」。私の周囲にはもちろん私も含めて、現在の社会に不適応な人間が多い。そのため胃を悪くする人間が多くいる。私も何度か胃の検査をやらされた。あの胃カメラなるものである。最初に一度あれを飲まされた時の苦痛からもう二度と飲むまいと決心してしまった。あの当時は今よりも線が太く、それを見た時「ウソ」と言ってしまった。あんなものを飲み込めるのは下等なワニぐらいしかいないだろうと。さらに治療の途中、看護婦が「ゲップを出さない!」と言い続けていた。異物がノドを通って体の中に入っていくのに、ゲップを出すな、という言葉が私には信じられなかった。物も言えず目で必死にその事を看護婦に訴えていたのに、逆にこわい目でにらみ返されたのを今も覚えている。ところが、世の中には「胃カメラ平気」という人がいるのである。そんな人は私にいわせれば、やはりマゾ気のある人か、進化のおくれた痛みに対してにぶい人としか思われない。
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一般的に進化がおくれている(実際は定義はむずかしい)動物は人間的な目でみれば、やはり痛みに鈍感である。私が釣った数少ない大ものの魚(スズキ)の中に、口の中からハリをはずそうとした時、二本の仕かけ(二本のハリ)が出てきた事がある。要するに、私が釣る前に誰れかが釣ったのだが、魚がそのハリ(仕かけ)を切って逃げ、それを又私が釣った(よほど運の悪い魚だったのだろう)。私のハリも、もう一本のハリも、しっかりそのクチビルにかかっていた。ただし私の方の仕かけより、途中で切れていた仕かけの方が上等(値段が高そう)だった(それなのになぜ私が釣り上げたのか。それは腕がよかったからだといいたいところだが、私の方がその魚を食いたい、という食欲がまさっていたからだろう)。「きっちり料理して、おいしく食べてやろう」と魚に感謝して、家に帰って料理してみると、外見も丸々してうまそうだし、胃の中には、しっかりとエサがつまっている。要するに、クチビルにハリをつけたままで平気(?)でエサを食っていたという事になる。この魚はクチビルの痛みには鈍感なのである。クチビルだけではない。以前に釣った中に、胃ぶくろの内側にハリが刺さっていた魚もいた。私など、クチビルに釣り針がかかろうものなら七転八倒するだろう。
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「痛み」の話しが出たついでに、人は痛み(身体的、心的)の大部分を時間と共に忘れることができるという事である。私のような小心で、しかも五〇年間、失敗(失望)の人生を送っている人間にとって「忘れられるから生きられる」といえるかもしれない。ただ、どうしても忘れられない痛みもあるだろう。しかし、それだから又、他人の痛み苦しみも分かり合えるというものだろう。それが人間社会(集団)を支える基盤になっているように思うのだが。こんな微妙なバランスで成り立っている人間に、いくら精巧なロボットでも足元にも及ぶまい。ところがこの人間社会にも今頃ロボットのようなのが出現してきた。戦後五十五年、すべて忘れて楽になってくださいといいたいような人達が、いまだに自分の責任に苦しむ一方で、あっけらかんと「二本は天皇を中心とした神の国…」とのたもう人もいる。忘れたらみんなが迷惑する人が忘れる、これも又人間社会である。いやこれこそが現実の人間社会なのかも。しかも社会的地位の高い人ほど忘れたら困るのに、忘れるようである(忘れるのがうまい)。いや、忘れるのがうまいから、エラくなれたのだろう。私とて、今頃、なんとなく忘れる事がうまくなった様で心配である。人間五〇を過ぎると反省をしなくなる、といわれているから、いよいよ危ないかもしれない。周りは「いよいよボケが始まった」と言っている。
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さて、これだけの私のこの痛み。医者へ行く必要もなく、人間が進化している証拠であり、又、その痛み故に人間性が高まる事も可能と、自分を納得(こじつけ)させたはずなのに、いっこうに痛みが引かない。ようやく原稿ができあがり「作者は、よし、できた!とヒザを打って立ち上がった」と、締めくくりたい所だが、実際は自分の書いた文章を読み返す気力もない(もともと私は自分の原稿は読み返さない。読み返すと投稿する勇気がなえてしまう)。結局いつものように「読みたい奴は読め。わしゃ知らん」となる。
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