母のたより
あんずの花さかば
あんずの樹の下で
靜かに眠りこけて夕べとなる
ふるさとの春を偲ばずや。
老いたる母に叛き
はげしき都にのぼり行ける
子なれど
母はまた母なれば
あしざまに物言ふ村の人々の中に住ひて
汝の出世のみを希ひ
ひさしく心に祕めて何事も語らず。
寂しけれど
寂しけれど ひとすぢに
あんずの花の咲くかげに
汝の歸り來るをまち佗びつる
母の心を忘れたるにや。
子は子
母はまた母なれば
口あらくして怒り
つらきと思ふ日のあらんも
そは まことならず
汝よ
母は汝の歸り來るところに美しき
安息の寢床をしつらへて
待ち佗びゐるを知らずや。
ああ、
あんずの花咲けど−
靜かなる夕べ來れど−。
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天上の櫻
櫻の花はちらないのだ
いく日かののちに
すこしづつ枝から天へせりのぼつて
天でまた ぼんやり咲くのださうだ
夕暮れの庭に
人聲もないとき
部屋で子供がうつうつ微睡んでゐるとき
靜かな部屋の窓口に
うすあをいカーテンを下しながら
櫻の花はこつそりと
天へせりのぼつてゆくのださうだ
青葉の陰影で
目がさめ
子供は冷たくなった白い蹠をゆすつて
母親をよんで泣きしきる頃
天ではまた
賑やかな花見がはじまるのださうだ。
春日小景
蜜を滴らして
田園の夕暮れを蜂は羽音をたかめた
そこには きまつたように
ぼんやりと空があり
ぼんやり櫻が咲いてゐた。
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雨の日
枕が白い石ころのやうにかたい日だが
あれた手足も
こんなに ほんのり色をおびて
からだがぽつてり重みをもつてくる、
どこかで櫻の花がひらいたかな。
爭ひなぞはやめにしよう
こころのそこまで濡れてくるな
ぐつすり眠つて目をさまさう、
おころりよ おころりよ
あかんぼが母にあやされながら部屋をでると
かすかにポンカンの匂ひがした
ポンカンめぐつて
雨が降つてゐるのかな。
わたしは目をとぢて
そつとおなかへ手をやつた
いつの間にか おなかの中でも
温い雨がぴくぴく明くはねあがつていた
おなか押へて うれしくなつた。
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蜻蛉寺 その一
子供のみの朝夕詣ふでる寺ならむ
うすき早春の日をあびて
櫻の枝はうすむらさきにふくらみ
枝と枝とのあひだより
いらかのそりの美しく夢みてゐる御寺なり。
蜻蛉寺とは
世にもまたはかなき名なり
いかなる慈悲のみ佛のおはすにや
子供らきたりて可愛ゆき膝頭をそろへ
をさなき手をあはせ
何にをうつくしきことを
願ひてやまぬ御寺なりや。
その姿もきよまりて蜻蛉のごとく
あるひは まぼろしの塔のごとく
ゆれてやまぬ蜻蛉寺こそ
あはれ 子供らの夢の御寺なり。
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平凡日記
わたしの部屋は
雜木林の午後のやうに寂しい
折り重さなつた本の白い頁が
小川の流れのやうにうつらうつらと
夕ぐれの鶸の囀りをきいてゐるだけだ
本のどの頁を覗いてみても
活字は何處へ遊びに行つてしまつたのか
日の陰影だけが小さい魚鱗を光らせたり
沈んだり、跳ねたりしてゐるだけだ
わたしは妻に氣がねをしながら
『子供から一本もたよりがないね。』
後向きでミシンをかけてゐる妻の髪は
今日は油枯れて草のやうにぼつとしてゐる
矢張り子供の事を考へてゐたらしいが喋舌らない
誰れもかれも靜かな林の中では黙つてゐたいのか
鶸は止り木で囀りを忘れ
首をかしげてこちら見てゐた。
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蜻蛉寺 その二
われ死にたらば蜻蛉寺にゆき
蜻蛉とならむと子らは言へり
蜻蛉寺におはす御佛の頭にとまり
肩にすべり
あるひは御佛の膝にすがりて
大いなる目玉をくるくるさせて
蜻蛉の歌を
ひねもす歌ひ暮らさむと言へり
あの子はむつつ蜻蛉寺にゆき
よごれたる世の着物をぬぎすてて
色ガラスの羽をひらめかせ
いまごろは何を節づけて歌ひゐることぞ
聲はりあげて
父母のかなしみの胸につたへむと
何を歌ひつづけてゐることぞ。
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お知らせ
平成11年石川県七尾市徳田郵便局発行の
「ゆうペーン・春の詩」に
宮崎孝政の「天上の櫻」が使用されました。
お問い合わせは同局
(TEL 0767-57-1110)まで。
80円切手(図柄ホタルイカ)10枚入り。 |
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