芸術は爆発だ!  〜 岡本太郎 〜

川崎市岡本太郎美術館蔵 181.5×259.5 p

戦後日本画壇への挑戦
−森の掟(1950年)−

第35回二科展に発表された作品。

中央に描かれた赤い巨大な生き物について太郎は、「それが権力として通用する時には怖ろしい表情や姿で人々を脅かし、彼らの生活を根底から揺さぶるが、いったんチャックが開かれると中身は暴露され、バカみたいなものになってしまう。」と解説している。

ユーモアを含みながら描かれたこの作品は、直接的な社会風刺を超えて、普遍的なテーマを提示している。

対極主義と縄文土器

例えば「意味のあるものと意味の無いもの」「ものをそのままの形で描いたものと、ピカソのように見た目とは違った形で表したもの」など、正反対のものや表し方が違うものを、1つの作品の中に表現すること。

上野の国立博物館で縄文土器を目にした太郎は、「こんな日本があったのか!」と体が震えるほど感動した。その激しく重なり合う線や力強さに、人間の根源のエネルギーを感じた。

川崎市岡本太郎美術館:生誕地、川崎市にある。

幻の壁画「明日の神話」のメッセージ

2005年6月彼の「幻の壁画」と呼ばれる巨大作品が修復のため日本上陸。1968年、あの「太陽の塔」と並行して作られていた岡本太郎のもう一つの傑作「明日の神話」。完成することなくメキシコで行方不明になったこの壁画の数奇な運命。

人間がつくりだした核というものをモチーフにして、逆に「ひとりの人間」の力のすばらしさを見せたかったのかもしれない。

岡本太郎記念館:戦前から岡本一家が長く暮らし、戦後は50年近くにわたって岡本太郎の絵画や彫刻の創作の場であった自宅兼アトリエ。

  • 1911(明治44) 2月26日、漫画家・岡本一平、歌人で小説家・かの子の長男として、川崎市高津区二子で誕生
  • 1929(昭和4) 東京美術学校に入学、一平に同行し渡欧
  • 1938(13) パリ大学で哲学・社会学・民族学を学ぶ。第1回国際シュルレアリスト・パリ展に《傷ましき腕》招待出品
  • 1939(14) 2月18日、母・かの子没(49歳)
  • 1940(15) ドイツ軍のフランス侵攻により帰国
  • 1941(16) 第28回二科展に滞欧作品《傷ましき腕》《コントルポアン》など4点を特別出品し、二科賞を受賞
  • 1942(17) 現役初年兵として兵役につき、中国戦線へ
  • 1946(21) 約半年間の俘虜生活を経て復員
  • 1947(22) 二科会員、「対極主義」提唱、第32回二科展に《夜》《憂愁》出品
  • 1948(23) 第33回二科展に《夜明け》出品、父・岡本一平没(62歳)
  • 1949(24) 第34回二科展に《重工業》出品
  • 1950(25) 第35回二科展に《森の掟》出品
  • 1951(26) 東京国立博物館の縄文土器に衝撃
  • 1968(43) メキシコのホテルで大壁画《明日の神話》制作
  • 1970(45) 大阪万博シンボルゾーン中央に《太陽の塔》
  • 1981(56) 「芸術は爆発だ!」が流行語大賞の語録賞
  • 1986(61) 「なんだこれは」が流行語
  • 1996(平成8) パーキンソン病/急性呼吸不全で死去(84歳)
  • 1998(10) 青山のアトリエに岡本太郎記念館が開館
  • 1999(11) 川崎市岡本太郎美術館開館
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