傑作「エトワール」初来日!  〜 印象派 エドガー・ドガ 〜

「エトワール(星)」とは、パリ、オペラ座で、プリンシパル(主役を踊る踊り子)のなかでも特に花形だけに与えられる称号です。ドガの確かなデッサン力によって、スポットライトを浴びて踊るエトワールの一瞬の動きが永遠にとどめられています。 稽古場や舞台裏の踊り子たちを好んで画題としたドガの作品のなかで、この作品は上演光景を描いた数少ない作例の一つです。大胆な対角線の構図で構成され、高い位置にあるボックス席からオペラグラスを通して舞台上の踊り子を見ているような視点がとられています。

一瞬の動き

首に巻いた黒いリボンのたなびき、ウエストから裾にむけて散らされた花束の花びらが、放射状にのばした手足の動きと呼応して、踊り子の美しい動きを強調しています。

人工的な光の表現

ドガは、踊り子の顎や額、胸や腕に明るいベージュで、そして衣装のチュチュや脚の輪郭、バレエシューズには輝くようなホワイトでハイライトをいれ、下からのフットライトを浴びて踊り子が浮き上がるような効果を出しています。パステルを重ね、光を受けて透ける衣装の素材感までも描き出しています。

複雑な技法

大胆に塗り重ねた青と緑のパステルの下に、指や絵筆で版画のインクを拭き取った跡を見ることができます。この作品は、モノタイプで作った下地の上にパステルを重ねて描いています。モノタイプは銅板やガラス板の上に塗ったインクを拭き取って図柄を描き、それを紙に写し取る版画技法の一種です。この技法により、人工的な光のドラマチックな効果を実現しています。

謎の紳士

舞台袖に、出番を控える踊り子に混じって、黒い背広姿の紳士が立っています。明らかにダンサーとは異なる立ち姿の謎の紳士は、舞台で踊る踊り子のパトロンと考えられています。当時、オペラ座に通う紳士たちは、踊り子のパトロンとなる者も少なくなかったと言われています。ドガは、舞台上の華やかな世界と同時に、舞台裏で繰り広げられるドラマにも鋭い視線を注いでいるのです。

  • 1834 本名:イレール・ジェルマン・エドガー・ド・ガスは、パリの富裕な銀行家の家庭に生まれる。
  • 1855(21歳) パリ国立美術学校の絵画・彫刻科に入学し、アングル派の画家ルイ・ラモートに師事。
  • 1856-59(22-25) 初めてのイタリア旅行。美術館や教会などでイタリアの古典絵画を模写する。
  • 1862(28) ルーヴル美術館で模写をしていたマネと出会い、交流が始まる。
  • 1865(31) 初めてサロンに出品するが、批評家にはほとんど注目されない。
  • 1868(34) マネ、モネ、ピサロ、ルノワールらが常連であったカフェ・ゲルボワに頻繁に通う。
  • 1870(36) 普仏戦争の間、国民軍の砲兵隊に入隊。眼の異常に気づく。
  • 1872(38) パリの画商ポール・デュラン=リュエルが初めてドガの絵画3点を購入。
  • 1872-73(38-39) 弟が住むニューオリンズを訪問する。
  • 1874(40) 第1回「印象派展」に出品。この頃、メアリー・カサットと出会う。
  • 1878(44) ポー美術館が《綿花取引所の人々(ニューオリンズ)》を買い上げ、 初めて美術館のコレクションに入る。
  • 1881(47) 第6回「印象派展」に生前に発表された唯一の彫刻作品《14歳の小さな踊り子》を出品。
  • 1892(58) 視力の衰えが進み、油絵はあまり描かなくなる。
  • 1895(61) この頃、写真を撮影する。
  • 1917(83) 脳溢血により死去。モンマルトルの墓地に埋葬される。
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