空海上人は高野山にてミイラになっていると思われる。
なぜなら日本全国で17体の即身仏が確認されており、出羽三山近辺に多い。
そして実際に即身仏にチャレンジした者はその10倍はいるだろう。したがって、
空海即身仏の伝説は本当である可能性が強い、そうでなければチャレンジしようなどと思わないからである。
空海上人は東大寺の別当であった。
おそらくだが奈良の大仏建立時、大量の金メッキを施した。
その時水銀が大量に消費され、水銀中毒で死んだ者がいた。
しかしその死体が腐らなかったのではないかと筆者は見ている。
おそらく空海上人は水銀で防腐処理が施されていると想像する次第である。
因みに即身仏と即身成仏は意味が違う。
「女人成仏」とは、本来の鳩摩羅什訳にはない。それよりも古い正法華経286年にはある。
すなわち本来の法華経には元々あるものなのである。
鳩摩羅什は丁度今から1600年前の406年に「妙法蓮華経」を漢訳したが、
周知のように、そこには「提婆達多品」が欠落していて、
すなわち現在我々が羅什訳と称して読請しているものは、
蕭齊(しょうせい/国)武帝時に、達摩菩提(だるまぼだい)とともに
楊都僧正法獻(ほうけん)において、瓦官寺(がかんじ)にて法華経原本から翻訳されたものが、
「添品妙法蓮華経」校正時に正法華経286年以来再度、組み込まれたものである。
すなわち日本版妙法蓮華経の実体は、鳩摩羅什訳と601年の添品妙法蓮華経を
もう一度合糅、再編集したものなのである。
また、提婆達多品に説かれるのは真実のところ、女人成仏ではない。
竜女は即身成仏のデモンストレーションを行ったのであり、
法華経には即身成仏が説かれているのである。
法華経は「即身成仏」のお経である。変成男子というものは実に分かりにくい。
竜女は結局男になってから成仏しているのであって、「竜女⇒男⇒正等覚」これが一瞬で行われた。
竜女は舎利弗の前で「即身成仏のデモンストレーション」を行っているのである。
すなわち提婆達多品には『即身成仏』が説かれているのである。
女人成仏の象徴は鬼子母神・羅刹女である。また、
万人成仏の象徴は法華経に登場する魑魅魍魎、三草二木の喩である。
開元釈教録
かいげんしゃっきょうろく
Kai-yuan shi-jiao-lu
文中
1...法華三昧經一卷法華 支派 宋涼州沙門釋智嚴譯單本
2...無量義經一卷法華 前説 蕭齊天竺沙門 曇摩伽陀耶舍 譯 第二譯兩 譯一闕
3...薩曇分陀利經一卷是異出法華寶塔 天授二品各少分 僧祐録 云 安公録中 失譯經 今附西晋録 拾遺編入
4...妙法蓮華經八卷二十八品或七卷
以上11巻は、ホータン王国から法獻(ほうけん)が、同帙本すなわち1セットで、請来した法華経梵本である。
この中に「提婆達多品」と「世尊偈」が含まれており、益州龍淵寺にて翻訳された。
文中
姚秦(ようしん/後秦)三藏 鳩摩羅什譯(訳) 第五譯(訳) 上四經(上の1〜4の) 十一卷 同帙(1セット)
此(この中の) 妙法蓮華經第五卷 初(始めの) 提婆達多品 蕭齊(しょうせい/国) 武帝時 外國三藏(外国の三蔵)
達摩菩提(だるまぼだい) 共(とともに) 楊都ようと僧正(そうじょう) 沙門(しゃもん/僧侶) 法獻(ほうけん) 於(において)
瓦官寺(がかんじ/中国の寺) 譯(訳) 其(その) 經(お経の) 梵本 是(これは) 法獻(ほうけん) 於(において)
于? (ホータン王国)將來 其(その) 第八卷 初(始めの) 普門品中 重誦偈 周武帝時 北天竺三藏 闍那崛多 於(において)
益州龍淵寺譯(訳) 秦本(姚秦ようしん/後秦の本/鳩摩羅什訳法華経) 並闕(これの欠にも) 後(のち)に 續(続けて)
編入 又(また) 第八卷中 藥王菩薩等 呪(陀羅尼神呪)六首 大 唐 三藏玄奘 重譯(重訳) 在(あり)
音義(音と意味)中 此(これは) 不(ではない) 別出(単独出版物)
提婆達多品は世尊偈と同じ梵本から翻訳された。
SAT大蔵経テキストデータベース2018:No.264[Nos.262,263] |
出典:日蓮大聖人と私 題目弥陀名号勝劣事・第三章 人師の僻見を挙げる
http://aoshiro634.blog.fc2.com/blog-entry-1634.html
法華経
梵名サッダルマプンダリーカ・スートラ(Saddharmapuṇḍarīka-sūtra)、音写して薩達摩芬陀梨伽蘇多覧(さだるまふんだりきゃ・そたらん)、「白蓮華のごとき正しい教え」の意。経典として編纂されたのは紀元一世紀ごろとされ、すでにインドにおいて異本があったといわれる。そのためこれを中国で漢訳する段階では、訳者によって用いた原本が異なり、種々の漢訳本ができたと推察される。こうしてできた漢訳本は、@法華三昧経(ほっけさんまいきょう)(六巻。魏の正無畏(しょうむい)訳。二五六年訳出)。A薩曇分陀利経(さつどんふんだりきょう)(六巻。西晋の竺法護(じくほうご)訳。二六五年)。B正法華経(しょうほけきょう)(十巻。西晋の竺法護訳。二八六年)。C方等法華経(ほうどうほけきょう)(五巻。東晋の支道根(しどうこん)
訳。三三五年)。D妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)(八巻。姚秦(ようしん)の鳩摩羅什(くまらじゅう)訳。四〇六年)。E添品妙法蓮華経(てんぽんみょうほうれんげきょう)(七巻。隋の闍那崛多(じゃなくった)・達磨笈多(だるまぎゅうた)共訳。六〇一年)の六種である。このうち現存するのはB正法華経、D妙法蓮華経、E添品法華経の三種があるが(六訳三存)、D妙法蓮華経が古来から名訳とされて最も普及しており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。内容は、それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一し、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調する。
〈追記〉
〔提婆達多品の由来〕
A薩曇分陀利経(さつどんふんだりきょう)は中国・西晋代の訳とされるが、訳者不明である。薩曇分陀利は梵名サッダルマプンダリーカの音写で、妙法蓮華経の梵名と同じ。内容は、妙法蓮華経の提婆達多品第十二に相当する分が別になったものであり、釈尊の前生譚、提婆達多の授記、竜女の成仏が明かされる。御書には「薩云分陀利(さつうんふんだり)」(九五三n)と示される(云(うん)は雲の異体字。ここでは曇(どん)の略字)。
D妙法蓮華経は鳩摩羅什(三四四年〜四〇九年)の訳出当時、七巻二十七品であったが、後に提婆達多品が加えられ八巻二十八品となった。提婆達多品は、南北朝の斉の永明年中(四八三年〜四九三年)に沙門達磨摩提(Dharmamati)が法献の獲得した梵本で共訳し、南岳慧思(五一五年〜五七七年)がこれを羅什訳に付加して現在の二十八品にしたと伝えられる。
E添品法華経の序に、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経には提婆品が無かったとあり、天台大師智(五三八年〜五九七年)の頃から見宝塔品第十一と勧持品第十二(提婆品挿入後は第十三)の間に提婆品が入り、現在見られるような形になったと思われる。
提婆達多品は、B正法華経では七宝塔品第十一に含まれ、E添品法華経では見宝塔品第十一の後半にあり、独立した一品ではない。しかしB正法華経の流布本の中には、梵志品第十二として提婆品を別立しているものもある。さらに提婆品を一経として流布したものに提婆達多品経一巻、薩曇分陀利経一巻(宝塔品の一部を含む)がある。
ちなみに法雲(四六七年~五二九年)の法華経義記には提婆達多品の部分が無い。聖徳太子作と伝わる法華義疏は本書をもとにつくられたとされ、提婆達多品が存在しない。
〔過去仏の法華経〕
法華経には、釈尊の説いた二十八品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したもので、それらはすべて法華経である。
〔三種の法華経〕
戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の二十八品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の摩訶止観、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。