最上稲荷(日本三大稲荷)
1200年の歴史の日蓮宗寺院、天台法華の踏襲。
法華経の祈祷の歴史は古い!法華経には法華行者守護の陀羅尼がある。薬王菩薩本事品には病即消滅/不老不死がある(御祈祷の本懐は、病気平癒)。そして陀羅尼品には薬王菩薩の陀羅尼もある。日蓮聖人は母の病を治した時、それらを唱えたに違いない。
また、鬼子母神は安産の神である。
最上位経王大菩薩=荼枳尼天=稲荷
最上位経とは最上位のお経すなわち法華経。
本尊
祈祷本尊は最上位経王大菩薩(稲荷大明神)。最上位経とはすなわち法華経のことである。像容は右手に鎌、左肩に稲束を背負い、白狐にまたがる天女の姿をしており、稲荷神の本地とされる荼枳尼天の像容とその特徴を同じくする。創建伝承寺伝によれば、報恩大師が天平勝宝4年(752年)に孝謙天皇の病気平癒の勅命を受けて、吉備山中の八畳岩で修法し、最上位経王大菩薩を感得、天皇は全快したことに始まるという。また後に桓武天皇の病気平癒祈願の功徳により、寺院建立の寄進申し出があった。これにより大師が霊地を求めていたある日、最上位経王大菩薩より「備中国、龍王山麓に堂宇を定むるべし」との宣告があり、このことを天皇に進言。天皇はその祈願所としてさっそく龍王山神宮寺を寄進創建した。これが現在の妙教寺であるという。
写真:出典:最上稲荷 節分豆まき式|イベント 岡山観光WEB【公式】- 岡山県の観光・旅行情報ならココ!
https://www.okayama-kanko.jp/event/12822
縁起 出典:https://inari.ne.jp/about/
いつの世も人々の想いを支えてきた、合掌の心。 最上稲荷の歴史は、今から1200余年前にさかのぼります。天平勝宝4年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大師はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。その後延暦4年(785)、桓武天皇ご病気の際にも、大師の祈願により快癒。これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮寺」が建立されました。 以来、「龍王山神宮寺」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻めの際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。このお像をもとに慶長6年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。寺名も「稲荷山妙教寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。 伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、1200余年の歴史を紡いできた最上稲荷。祈祷本尊の「最上位経王大菩薩」は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。また脇神として、水の神さま「八大龍王尊」、開運を招く「三面大黒尊天」が最上尊とともに本殿に祀られ、最上三神と呼ばれています。その教えの基調となる合掌の心(お互いに拝み合い、いつくしみ合う心)は広く信仰を集め、「不思議なご利益をお授けくださる最上さま」として、今なお多くの人々に親しまれています。